

神戸の六甲山や、西宮の甲山を海から眺める景色が拝され、次には、西宮の廣田神社や、その摂社の白山菊理姫を祀る六甲山神社(石の宝殿)や、六甲媛(瀬織津媛)を祀る磐座が次々拝され、平成七年、阪神大震災で倒壊した長田神社の拝殿が見えました。

富士山に出現した、龍雲光赤龍が、九州の動きを暗示していた。)
(注 六甲山は古代より、廣田神社の社領であり、祭神、撞賢厳之御魂天疎向津媛命、瀬織津媛命)の神体山である。
説に、瀬織津媛の元神、白山菊理比咩命も、祀られているので元々と思う。
長田神社の事代主とは、天皇を守護する神宣即ち、神示を取り継ぐ役目であり、大国主命の御子とされ、俗に恵比寿の神と同一視される。
平成七年の大地震は、新しき神の世の戸開きの意が秘められていると思う。神の戸、神戸の開きである。
九州は、日本の南西であり、昨年十一月に

富士山に出現した、龍雲光赤龍が、九州の動きを暗示していた。)
最後、九州佐賀県有田町にある、出口聖師の珍しい円形の五六七歌碑(弥勒歌碑)が拝され、その前に桃太郎に扮された、出口王仁三郎聖師がにっこりと、ほほえみ、お立ちでありました。
(注 私も(修聖)以前、五六七歌碑を拝した事があり、その来を、九州雲仙岳を中心として、世界平和を有志の方と祈念して、おられる、諫早市の俣野健氏に伝えると、俣野氏も、五六七歌碑を拝する為に、有田町へ出かけてられたが、なかなか、所在が判らず、伺いに立ち寄られた家が、図らずにも、以前の共に神業を奉仕した、藤井美千代の宅であったり、五六七歌碑の建っている場所は、出口聖師を信奉し、世界平和の為に活動される、出口三平氏の御母堂の住家である、久富家の屋敷内であり、三平氏の祖父、久富二六氏は、深く大本教を信奉され、出口聖師の信頼厚く、聖師に二六で無く、三六じゃと呼ばれたとの事。
また、久富氏は、有田町の町長。勤められた名士であった。
大本教は弾圧の折、歌碑文字は、削られているが、刻まれていた歌は。
「久方の 空にそびゆる 富士の峰を 移し三六の 世を楽しむ。」
令和五年より、歌碑神力発動し、俣野氏、出口三平氏、近江の方々との縁が結びとなった。
この元は、雲仙岳に秘められた、白山菊理比咩の神々の括りの神力発動によるものと思う。
桃太郎の桃も、千年に一度、実る西王母の破邪顕彰、不老不死の桃と通じるものがある。)
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