南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

「怒り」について考えてみました

2009-11-13 22:09:05 | Weblog
アルボムッレ・スマナサーラ著『怒らないこと』(サンガ新書)
という本を読みました。この著者は、1945年、スリランカ生ま
れのスリランカ仏教(テーラワーダ仏教)の長老ということです。
1980年に来日し、駒沢大学大学院博士課程を経て。日本で初期
仏教の伝道と瞑想指導をされているのだとか。このサンガ新書
からもう何冊も本が出ていたのですね。知らなかったです。

この本を読んでいくと、怒るということがいかに格好悪いこと
であるのか、幸せに生きるためには怒ることがいかに有害な物
であるのかがよくわかります。ちょっと引用してみます。

「怒り」は、人間の不幸そのものです。私は、人間みんなに
素晴らしく幸福に生きてほしいと思います。たとえ1分、2分
でも、30秒でも、困ったり悩んだりする必要はありません。
悔しがったり、「ああ負けた、こん畜生」と思ったりするのは
不幸です。ですから、心は常に喜びを感じながら、常に明るく、
常に楽しく生活していただきたいのです。短い人生ですから、
苦しがったり、悩んだりする必要はありません。心構えしだいで、
誰もが幸福に生きられるのですから。そのためには、我々の
不幸をつくり出す「怒り」だけは、けっして心の中に入らない
ようにすることです。


そうなんだよなあ、人間はみんな幸せを求めているんだよなあ、
「怒り」をなくすことで幸せが手に入るんだよなあ、と思うの
でした。じゃあ何で人は怒ってしまうんでしょう。その理由の
一つとしてあげられているのは、「私は正しい。相手は間違っ
ている」という考え方なんだそうです。自分が完璧だと思うと、
それに合わない物は許せなくなる。それが「怒り」になるので
すね。でも人間というのは所詮完璧ではありえないと思えば
怒る必要もなくなるというわけなんですね。

「正義の味方」の話も出てきます。悪を許せない「正義の味方」
は悪に対しての怒りを常に感じています。悪いやつが続々と出
てくると、それをすべてやっつけないと気がすまない。しかし、
結局は悪いやつが全くいない世界というのはありえないので、
結局彼は一生戦い続けなければならない。ということは「正義
の味方」というのは幸せな人生をおくれないということになる
のです。

この著者は怒りを否定しているのですが、そうなると、不動明
王だとかのあの憤怒の形相の仏像たちは一体なんなんだという
ことになります。仏像の多くは、慈悲深い平和な表情をしてい
るのですが、これでもかという怒った表情の仏像もあります。
そういう仏像を拝むという行為は一体何なんだろうとわけが
わからなくなりました。もしも怒りが恥ずかしくて下品な行為
だとしたら、こういう憤怒の形相の仏像は、何のために存在し
ているのでしょう。

人々を正しい道に導く為にわざと憤怒の形相を見せて怖がらせ
ようとしているのでしょうか?おそらく彼らは感情的に怒って
いるのではなく、みずからの気持ちを犠牲にして、憤怒の表情
で道を踏み誤らないように指導しようとしているのでしょうか?
このへんどなたかわかれば教えてください。

藤井雅子さんの『人はなぜ怒るのか』(幻冬舎新書)もまた
興味深い本です。怒りの蔓延した社会の現状を述べた後、
イライラをわくわくに変える方法というのがいくつか出てき
ます。怒りに対する処方箋というわけです。

期待値を下げる練習をするというのもありますが、「本当に
嫌なことはしない」というのも出てきます。嫌なことをして
消耗するより、「嫌なことはしない」ことに力を尽くすほうが
どんなにかよいということです。そういえば、『かもめ食堂』
の映画の中で、小林聡美さんが「嫌なことはしないだけです」
という台詞が出てきます。さわやかでかっこいい台詞ですね。
そういえば『かもめ食堂』の小林聡美さんは怒りを超越した
生き方で素敵でしたね。怒りのない生き方、目指したいと
思います。