南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

『神田川』に見る男のやさしさ

2009-11-16 00:10:20 | Weblog
舌津智之氏の『どうにもとまらない歌謡曲』(晶文社)という本
に、かぐや姫の『神田川』に関して述べた一節があります。

貴方はもう 忘れたかしら
赤い手拭 マフラーにして


という歌いだしの歌なのですが、この歌で歌われている「やさ
しさ」に関して、舌津氏は次のように述べています。

彼は、「一緒に出よう」と約束した銭湯で「いつも」
恋人を待たせ、自分が遅れて出てきても、詫びることさえしない。
相手の体が「冷たい」とわかっていながら行動を改めない男の
方こそが、よほど無神経に冷たいのではないか。銭湯通いをして
いれば、男風呂から「◯◯子~、出るぞぉ!」という声に、壁越し
の女風呂から「はぁ~い」という声が返るような場面にも遭遇
するだろうし、石鹸をカタカタ鳴らすような事態を避けるための
手続きはいくらでもあるはずだ。戦後の歌謡史を歌詞から読み解く
村瀬学の言う通り、この歌に描かれるのは、「約束を守らないずい
ぶんと身勝手な男」であり、語り手の女性は、「この男の『やさ
しさ』のうさん臭さ」を熟知していたと考えるべきだろう。つまり、
「私」が「怖かった」のは「やさしさ」と(それこそやさしく)
言いかえられた男の「身勝手」や「無気力」や「甲斐性のなさ」
であったかもしれないのだ。


一見、貧しいながらもささやかな幸せを歌っただけかに見える
この『神田川』の歌の中に、そんな複雑な状況が潜んでいたの
ですね。この著者の舌津さんの読み方が正しいとは限らないの
ですが、この『神田川』の歌詞の中には、たしかにひっかかる
部分があったのも事実です。

東京の神田川沿いの下宿に二人は住んでいました。神田川とい
う川は東京三鷹市吉祥寺の井の頭池が源流で、杉並区の久我山、
高井戸、下高井戸、永福、和泉、方南町、中野区の中野富士見
町を通り、新宿区と中野区の境界線を東中野から下落合、そし
て高田馬場から早稲田を通り、江戸川橋、飯田橋、水道橋を
経て、お茶の水から秋葉原、そして最後に浅草橋で隅田川に
合流するという川です。この川沿いにはいくつもの大学がある
ので学生たちにとっては、思い出の深い川です。この歌の中の
下宿がどの辺りの場所なのかは特定できないですが、神田川と
いうだけで、学生時代のノスタルジーを感じてしまいます。
私は、神田川沿いには住んではいなかったのですが、神田川
沿いの地名はどこも懐かしい感じがします。

三畳一間というから最低限の住環境です。風呂も台所もなく、
トイレは共同であったのでしょう。二人は結婚していたわけ
ではなく、「同棲」をしていたのです。この『神田川』の歌
が発表されたのは1973年であり、この歌詞の内容は過去の
追憶なので、60年代後半から70年の初頭と推測されます。
東京大学安田講堂占拠のあったのが1969年なので、その前後
の学生運動が激しかった時代だったのだと思います。

「若かったあの頃 何も怖くなかった」という歌詞を聞くと、
無謀に体制に反抗していた学生達のイメージを思いだします。
私が大学生になった頃は、学生運動がほとんど下火になって
いました。田舎で育った私が記憶している学生運動は、
ニュース映像で見るモノクロの映像です。小学校から中学の
あたりの私は、子供ながらに、ああいう闘いはよくないなと
思っておりましたが。

『神田川』の歌詞の中で、「いつも私が待たされた」という
フレーズが出てきます。普通、待たすのは女性のほうで、男
のほうが女性を待たすというのはちょっとおかしいだろうと
思っていたのですが、当時の若者は男は長髪が普通だったの
ですね。ビートルズや、ヒッピーの影響、グループサウンズ
の時代であったので、学生も長髪が普通でした。だから銭湯
でも洗髪するのに時間がかかるという事情もあったのでしょう。

しかし、女性よりも時間がかかったというのは、洗髪だけが
理由ではないはず。おそらくこの男は、湯船に長く浸かること
が好きなのであり、女性を多少は待たせても平気という傲慢さ
があったと見るのがよいのでしょう。今の時代から見ると、
ちょっと理解しがたい状況ですね。だいたい銭湯というのも
理解できない人々も多いんじゃないかと思いますが。

「貴方は私の体を抱いて 冷たいねって言ったのよ」
という歌詞のこの「冷たいね」という男の台詞。これも謎です。
おそらくは、「洗い髪がしんまで冷え」ている女性の体が
冷えているという物理的な状況しか考えていないのだと思いま
す。それ以上の思いやりは表現しない。そういう時代だったの
だと言えばそうなんですが、この場合まさか男が、「愛する
女性を待たせてしまうなんてぼくって冷たいね?」という意味
で「冷たいね」と言ったのではないということは確かです。
ましてや、「一人で先に出て、寒い外で一人で待っているなん
て、君は冷たいね」という意味でもないでしょう。

男には舌津氏が言うように、そこまでの深い思いやりはなかっ
たのではないかと思います。それでも、女性は彼の「やさしさ」
を感じていた。とすればその「やさしさ」とは何だったのか?
「猛烈からビューティフルへ」というコピーが流行っていた
その頃、「やさしさ」が流行っていたこともあるのでしょう。
でもその「やさしさ」に対して、女性は危惧を感じていたので
しょう。

「貴方はもう捨てたのかしら 24色のクレパス買って」という
歌詞が出てきいます。この文章から推測すると、この二人は
既に別れていると思われます。この同棲生活を経て、幸せに
結婚をしたというイメージはありませんので。ところでこの
「クレパス」という名称は、株式会社サクラクレパスの登録
商標だったのだそうですね。貧しい生活だったのにクレパスを
買って絵を描いていた。男は別に絵が得意なわけでもないのに
クレパスを買って、彼女の似顔絵を描こうとしていた。
「うまく描いてねって言ったのに いつもちっとも似てないの」
という彼女の言葉。男はどんな気持ちで彼女の似顔絵を描いて
いたのでしょうね。

テレビもパソコンも携帯電話もなかった時代。男は、唯一の
贅沢として、クレパスを買ったのでしょうか?
「貴方は私の指先見つめ 悲しいかいって聞いたのよ」
という歌詞。男はどういう気持ちで「悲しいかい?」と言った
のでしょうか?よほど追い込まれていたのでしょうか?それに
対して女性は、「いいえ、貴方がいるから幸せ」と答えたので
しょうか?こんなことを考えているうちに夜は更けていきます。