南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

鶴松君は疑惑のデパート

2006-09-07 03:40:28 | 戦国時代
日本は、「紀子様の男子ご出産」のニュースでもちきりだったようで
す。ニュースは朝からひっきりなしにその話題を繰り返し、何だか
とても平和になったような雰囲気でした。41年ぶりの男子だとか、
皇位継承3位であるとか、日本は全国的にお祝いムード。一人の赤ん
坊の誕生がこんなに話題になるというのは、何だかすごいことです。

東京で働いている私の妻の「下町娘」は、その日、自分で子供を
出産する夢をみたとか。まったくの安産で、こんなに簡単に生まれ
ちゃったと思ったところで目がさめて、テレビをつけたら紀子様の出産
のニュースをやっていてびっくりしたそうです。奇遇です。これは
すごい超能力かも。

私は、ここ一日二日、「功名が辻」の中で、茶々(淀)が産んだ鶴松君
のことをちょっと調べていました。秀吉が53歳か54歳のときに、淀と
の間に生まれたとされる子供なのですが、この子が生まれたときも、
大変なお祭り騒ぎだったようなのです。

司馬遼太郎先生の「功名が辻」の本の中で、鶴松君が誕生した頃の様子
が次のように表現されています。「鶴松誕生のときは、天子は産衣を贈
られ、公卿、大名、富商は大坂城へ引きもきらず参賀にゆき、城内は
ごったがえしたものだった」これは何だか今の紀子様の男子誕生と同じ
ような盛り上がりだったようですね。

でもこの淀殿の鶴松君は、じつは疑惑の子供だったようなのです。
それまで、数々の側室を相手に子作りに励んできた秀吉さんですが、
全然子供ができなかったのですね。寧々さんも、子供ができない原因
は、自分のほうにあるのか、秀吉のほうにあるのかさんざん悩んだ
ようなのですが、結論としては、秀吉のほうに問題があるということ
でみんなうすうす納得していたようなのですね。

それが53、4歳にして初めての子供!これはちょっと疑いたくなっ
ちゃいます。ドラマとかだと、なんだかすごい年寄りに見えますが、
じつは自分の年齢とそんなに変わらないのですね。う~ん、自分も
もうそんな歳か。ちょっとショック。

この鶴松君の誕生は、寧々さんにとってはショックです。側室に先を
越されたというショックもあったのですが、今まで不妊の原因は夫の
秀吉にあったと思っていたのに、実は自分のほうにこそ原因があった
可能性があるのです。いろんな意味でショックだったのでしょうね。

加藤廣さんの小説『秀吉の枷』の中では、鶴松君の誕生のあたりのこ
とが非常に興味深く書かれています。秀吉は淀の懐妊の知らせに歓喜
するのですが、その後で主治医に出産予定についてこっそりと訊ねま
す。「来年の5月」との主治医の答え。秀吉はさらに、上旬か、中旬
かと訊ねるのですが、主治医は下旬と答えます。秀吉はもともと計算
には長けているので、逆算をします。淀(茶々)のもとに足しげく
通ったのは7月以前。出産が5月下旬ということだと、計算が合わ
ない。まさか、自分の子供ではないのでは、と思うとぞっとする秀吉
なのですが、それを人に言うことはできない。

結局は、悩みながらも自分の子であると言い切ってしまうしか道はな
いと開き直り、自分の子供というふうに思い込むのです。疑惑の一人
は、茶々のもとにいる大蔵卿局の息子の大野治長。美男子だったそう
です。しかし、それを追求したところで、どうしようもない。大河
ドラマを見ると、石田三成がかなり怪しいですよね。

ひょっとして、三成が茶々と結託して、秀吉の子ということで、自分
たちで子供を作るという策略を弄していたのかもしれません。三成は
その頃、茶々のそばにいなかったので、それはありえないという説も
ありますが、じつは頭のよい三成のこと、巧妙なアリバイを仕組んで
世を欺いていたのかもしれません。

いずれにしても、この鶴松君、生まれてきたとはいえ、父親の秀吉に
とっては、本当は誰の子だかわからないという疑惑の子どもだし、
寧々にとっては憎き敵の茶々の子であるし、他の側室にとっては
妬みの対象でもあるし、また秀吉の甥の秀次にとっては自分の出世を
脅かすうるさい存在の子供であるし、みんなにあまり快く思われなかっ
たのではないかと想像されます。

淀(茶々)と三成にとっては、今後の豊臣家の中での地位を盤石の
ものにするための重要な戦略的素材であったろうと思いますが、
病弱のため幼くして死んでしまいます。大河ドラマの中では、あっさ
り生まれてきて、あっけなく死んでいくのですが、この死だって、
よく考えれば疑惑の固まりです。鶴松君のことをよく思わない人は
周りにいっぱいいます。そのような人たちが、何らかの手を下したと 
いう疑惑も否定できないのではないでしょうか。あるいは全くの無関
係と思われる徳川家康だって、こんな子供が豊臣家の跡継ぎとして
育っていったら自分の天下取りの邪魔になるということであらかじめ
消したということだって考えられるし(それはない?)、でも歴史の
中にはいろんなミステリーが未だ解明されずに残っていると思うの
ですね。まあ想像は勝手ですから。

というわけで、鶴松君というのは、さんざん世間を騒がして歴史から
消えていってしまいます。その真実は明らかにされないまま。今の世
の中だったらワイドショーとかで取り上げられそうなテーマですね。

ところで、このテーマにはまったく関係ないですが、あと数時間でま
た飛行機に乗らなければなりません。シンガポールのチャンギ空港か
ら、マニラにでかけます。また、工場でのビデオ撮影です。ではまた
マニラからお届けします。

2 コメント

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Unknown (tsubaki)
2006-09-07 19:48:31
ご無沙汰しております。

今回ながーいお休みを日本でとってきて、ようやく今週からご出勤しております。



え!

むっしゅーのところ、コウノトリのご機嫌がよろしいのかな?





吉報をまつ。

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Baby (下町娘)
2006-09-08 16:39:42
つばきさん、お帰りなさい。彼と離れ離れになるのはしびれますね…。

赤ちゃんは純粋な愛の結晶ですが、無責任には作れないものですね。私たちのところはまだかなぁ…。

夢の中では超安産でしだが。
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