「娘の思い出消された」と500万円請求------日刊スポーツ[2007年3月19日21時11分]
これはまったくもって笑えない冗談だ。
使っていたPCが不調だから誰かに修理を依頼する。直ってみればデータが消えているから損害を賠償しろ、と。
大切なデータであればバックアップを事前に取るのは常識、だと思っていたのだが、どうも秋田県ではそうではないらしい。
確かに私が働いている電気屋さんでも同じようなトラブルになりかけるときがある。たとえば、「起動しても画面が映らない」、「起動しなくなった」など、電気店の店頭修理では済まないでベンダーに修理を依頼しなければならないとき。お客様はパソコンのことを冷蔵庫やコタツのように考えているときがほとんどだ。預かり修理する際に「データは保障できません。また、バックアップをお取りすることもできません。」という書面に了承のサインを頂くのだが、この時点で疑問の声が出る。
「じゃぁ店で取っておいてよ」----できません。お店ではお客様のPCのすべてを把握できません。奥底に隠しておいたフォルダがバックアップされていないと後から言われても、それは無理です。
「え?消えちゃうの?」----当たり前のこと。HDD全交換な時だってある。説明書にも大切なデータはこまめにバックアップを!と記載されているはず。
車をショップに出して、ブレーキやら足回りをいじったとして、乗り心地がまったく前と変わらないときなんてあるだろうか。自らが扱っている機械がどのようなものなのかもわからず、自ら整備することもできず、迷惑をこうむったときだけ誰かに責任を押し付ける。そんな無理が通るなら道理はどこへ引っ込んでしまう?
お嬢さんが亡くなったことに対しては悼むけれども、このような裁判を起こしてしまった以上、このご夫婦に常識が無いのでは?という疑問を持たざるを得ない。ま、お店側の対応がさっぱりわからないので、かなり偏った意見になっていることは承知しているけれど。
そもそもパソコンを修理に出すということは、修理に出さなくてもデータは既に失われていたのではないだろうか。しかも、HDD交換という作業内容であればデータが消えるのは当たり前だ。
電気屋さんに気になることとしては、①事前に了解を得たのか②「誤って」データを消したのか③交換したのであれば古いHDDをお客様にお返しできたのではないか、の3点だ。事前に了解を得たのであればまったく店側に非は無い。また作業手順を誤ってデータを消したのではなく、消えたことに対しての謝罪であった可能性もある。加えてデータのサルベージなら壊れたHDDからでもできるはず。すべてのデータが保障されるわけではないけれど。
毎日、今までパソコンに接したことの無い(こういっては何だが)素人さんを相手にお話していると、ある傾向が見えてくる。コンピュータについて多少なりとも知っている人は次に挙げるようなことをしないのだ。本当に面白い。
その傾向とは、
①説明書やガイドブックをまったく読まずに直感で作業しようとする。
②自らが正しいという怖いまでの自信過剰
③人の話を聞かない
④気になるのは値段だけ
⑤困っても解決しようとしない(そのうちなんとかなるさ)
先日、光ファイバーを自宅に引きたいという申し込みを受けてお客様とお話していたのだが、このお客様がとてもコンピュータに詳しい方だった。こちらとしても大変説明しやすく、また、いろいろ知識を吸収できてとても楽しい接客をさせていただいた。その中で、はっとさせられたことがあった。回線工事が終わった後、実際にONUとPCをネットワーク接続する設定はお客様ご自身でおやりになられますか?と伺ったところ、「初めてのことですので、できれば専門の方にお願いしたい。」、「知識もあるしできないことはではないと思うが、万が一を考えて、確実な方法を取りたい。」、と。そう、それが当たり前。確実に動作しなければ意味が無い。知っている人はやはり、ちょっと違うのだ。できることとできないことの境目がはっきりしている。(詳しくは書かないけれど、パソコンを知ってる知り合いがいるから自分でできると断った後、やっぱり無理だから何とかしろ、というクレームの電話がかかってきたことは2度3度ではない。)
これから、ますますコンピュータは日常に溶け込んでくるだろう。つまり、あらゆるものがブラックボックスになっていく。知ろうとしなければなにもかもがわからなくなっていく。欲しい知識を自らの力で取り入れることが求められていくのだろう。
今までの社会と比べ、「情報化」が進んだ社会は便利になったのだろうか。知りたいことが溢れ、いつでもどこでもアクセスできる社会。自ら情報を探しにいける者は良いとしても、餌を待つひな鳥のままでは成長できないということなのだろう。
事前に調べるのが当たり前。
自ら対策するのが当たり前。
他に、どんな当たり前があるだろう。
意識は常に柔軟に。
視界は常に俯瞰で。
流れる早さに飲み込まれぬよう、泳ぎ続けなければならない。
痛いニュース(ノ∀`)【裁判】「娘の思い出消された」 修理に出したパソコンのハードディスクのデータが消えて精神的苦痛 慰謝料500万円求める…秋田地裁
これはまったくもって笑えない冗談だ。
使っていたPCが不調だから誰かに修理を依頼する。直ってみればデータが消えているから損害を賠償しろ、と。
大切なデータであればバックアップを事前に取るのは常識、だと思っていたのだが、どうも秋田県ではそうではないらしい。
確かに私が働いている電気屋さんでも同じようなトラブルになりかけるときがある。たとえば、「起動しても画面が映らない」、「起動しなくなった」など、電気店の店頭修理では済まないでベンダーに修理を依頼しなければならないとき。お客様はパソコンのことを冷蔵庫やコタツのように考えているときがほとんどだ。預かり修理する際に「データは保障できません。また、バックアップをお取りすることもできません。」という書面に了承のサインを頂くのだが、この時点で疑問の声が出る。
「じゃぁ店で取っておいてよ」----できません。お店ではお客様のPCのすべてを把握できません。奥底に隠しておいたフォルダがバックアップされていないと後から言われても、それは無理です。
「え?消えちゃうの?」----当たり前のこと。HDD全交換な時だってある。説明書にも大切なデータはこまめにバックアップを!と記載されているはず。
車をショップに出して、ブレーキやら足回りをいじったとして、乗り心地がまったく前と変わらないときなんてあるだろうか。自らが扱っている機械がどのようなものなのかもわからず、自ら整備することもできず、迷惑をこうむったときだけ誰かに責任を押し付ける。そんな無理が通るなら道理はどこへ引っ込んでしまう?
お嬢さんが亡くなったことに対しては悼むけれども、このような裁判を起こしてしまった以上、このご夫婦に常識が無いのでは?という疑問を持たざるを得ない。ま、お店側の対応がさっぱりわからないので、かなり偏った意見になっていることは承知しているけれど。
そもそもパソコンを修理に出すということは、修理に出さなくてもデータは既に失われていたのではないだろうか。しかも、HDD交換という作業内容であればデータが消えるのは当たり前だ。
電気屋さんに気になることとしては、①事前に了解を得たのか②「誤って」データを消したのか③交換したのであれば古いHDDをお客様にお返しできたのではないか、の3点だ。事前に了解を得たのであればまったく店側に非は無い。また作業手順を誤ってデータを消したのではなく、消えたことに対しての謝罪であった可能性もある。加えてデータのサルベージなら壊れたHDDからでもできるはず。すべてのデータが保障されるわけではないけれど。
毎日、今までパソコンに接したことの無い(こういっては何だが)素人さんを相手にお話していると、ある傾向が見えてくる。コンピュータについて多少なりとも知っている人は次に挙げるようなことをしないのだ。本当に面白い。
その傾向とは、
①説明書やガイドブックをまったく読まずに直感で作業しようとする。
②自らが正しいという怖いまでの自信過剰
③人の話を聞かない
④気になるのは値段だけ
⑤困っても解決しようとしない(そのうちなんとかなるさ)
先日、光ファイバーを自宅に引きたいという申し込みを受けてお客様とお話していたのだが、このお客様がとてもコンピュータに詳しい方だった。こちらとしても大変説明しやすく、また、いろいろ知識を吸収できてとても楽しい接客をさせていただいた。その中で、はっとさせられたことがあった。回線工事が終わった後、実際にONUとPCをネットワーク接続する設定はお客様ご自身でおやりになられますか?と伺ったところ、「初めてのことですので、できれば専門の方にお願いしたい。」、「知識もあるしできないことはではないと思うが、万が一を考えて、確実な方法を取りたい。」、と。そう、それが当たり前。確実に動作しなければ意味が無い。知っている人はやはり、ちょっと違うのだ。できることとできないことの境目がはっきりしている。(詳しくは書かないけれど、パソコンを知ってる知り合いがいるから自分でできると断った後、やっぱり無理だから何とかしろ、というクレームの電話がかかってきたことは2度3度ではない。)
これから、ますますコンピュータは日常に溶け込んでくるだろう。つまり、あらゆるものがブラックボックスになっていく。知ろうとしなければなにもかもがわからなくなっていく。欲しい知識を自らの力で取り入れることが求められていくのだろう。
今までの社会と比べ、「情報化」が進んだ社会は便利になったのだろうか。知りたいことが溢れ、いつでもどこでもアクセスできる社会。自ら情報を探しにいける者は良いとしても、餌を待つひな鳥のままでは成長できないということなのだろう。
事前に調べるのが当たり前。
自ら対策するのが当たり前。
他に、どんな当たり前があるだろう。
意識は常に柔軟に。
視界は常に俯瞰で。
流れる早さに飲み込まれぬよう、泳ぎ続けなければならない。
痛いニュース(ノ∀`)【裁判】「娘の思い出消された」 修理に出したパソコンのハードディスクのデータが消えて精神的苦痛 慰謝料500万円求める…秋田地裁
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