FEEL ambivalence

毎日、いろんなことを思います。
両極端な感じで。

両面価値。
同一対象に対する愛憎共存。

色彩のブルースと共に。

2005-08-30 22:19:33 | ろぐ
ちょっとした綻び。
それに躓いて、足が縺れる。
傾いた体を支えようとして、手を伸ばすけれど。
そう。思い浮かぶ肩はたくさんある。
ちょっとだけ肩を借りようと、手を伸ばすけれど。

虚しく手は空を切り、途方にくれたぼくは立ちすくむ。
何のことはない。ただ、自分が我儘であるだけ。
自分が弱いだけ。

肩を貸して、と頼まれれば、ぼくは遠慮なく肩を貸す。
恩を売る気も、貸しを作る気もない。
もしかしたら、それは傲慢なのだろうか。



揺れる想いは、今まで夥しいほどの傷を生んできた想い。
自らが触れたくない想い。自らが囚われている想い。



持て余したぼくは、誰かに頼ることで、その傷を視界から消そうとする。

煙草を買いに外へ出た。
星は、出ていなかった。
街灯の無い暗い道。

縋る様な思いはどうすればいい?
そもそも、縋ることが間違っているの?

自分を弾劾してもなにも解決はしない。

伸ばした手をはじき返されたってよかったのに。
手は、空を切ってしまった。
投じられたモノは、緩く、確実に心を波立たせる。
あおりを受けたぼくは、どうする?

目を閉じるか。
これも艱難と、受け止めるか。

叫び声を上げたって、聴いてくれる人なんて、いない。

目を閉じて、大きく深呼吸をして。
鳥肌が立つけれど、でも。

子供のようにないものねだりを繰り返しても、得られるものなんて無い。

ああ。
分かってしまう。分かりたくもない現実を。

夢であればよかったのに。

醒めない夢であればよかったのに。

裏に潜むもの。

2005-08-30 00:52:17 | ろぐ
ぼくは、なにかを見たとき、その裏側に何があるのかを考えてしまうことがある。
当然、考えないときもあるのだが。
考えてしまうときは、自分を嫌な人間だと思ってしまう。

たとえば、
何かの小説を読んだとき。
何かのCMを見たとき。

誰かに、優しくされたとき。

その裏側には、何者かの意図が存在していて、
その存在を顕示しようとものもあれば、
隠匿しようとするものもあるだろう。

ただ、ぼくは、その存在が気になって仕方ないときがある、という話だ。
疑心暗鬼に囚われている、といわれれば、それで終わりなのだが。

ぼくらが住む世界は、記号で溢れていると思わないか?
記号は、何らかの意味を代入され、その上で使用されていく。
記号はそれ自体は何の意味をもなさないのに、ぼくらが代入したものがそこにある、と信じてしまったら、その瞬間から、記号は意味を持つ。
ぼくらはソレを知っているのに、記号に踊る。または、記号が踊る。
ぼくらが踊っているのか、記号が踊っているのか。

そもそも、記号に代入されたものは何だった?
それを知っているのか?
五感で確認できるものなら、まだ話は簡単だ。
確認すればよいのだから。
もしも、五感で確認できなかったら。
それが、人の意思や抽象的な意味を持つものであったら。
ぼくらは頭を働かせ、記号の意味を探るしかないのではないか。

記号はそれ自体、何の意味も持たない。
それに意味を持たせているのは、それを伝達手段にしている我々だ。
そして、われわれは気付いてしまった。
記号は時として、信じられる意味など持たないのかもしれない、ということに。

気をつけるべきは、その記号が何の意味を持つか、ということ。
そして、裏には何が存在しているのか、ということ。

記号を信じ、その意味を鵜呑みにすることの危険が増えてきている。
結果。
ぼくは、目の前のものを信じようとする一方で、目の前のものをまず、疑うことも覚えてしまった。疑うことによって身を守ることもあれば、疑うことによって本来のことを素直に受け取れないこともある。

時として自分を守るであろう行動ゆえ、ぼくは、自分が嫌いになる。
なぜ、それを信じられなかったのか、と。

素直に笑えているときがぼくの時間のほとんどを支配しているけれど、時にぼくは冷酷な目で、その笑う自分を嗤う。

見え隠れしている相手の意図であれば読み取りたい。
だが、ひた隠しにされている意図であれば、なおさら読み取らなければ危険に思ってしまう。
ぼくは、少し、疲れているのか?