事故の顛末
「砂漠の友」と一緒に西域南道をラクダによる旅行に参加した仲間。その中の一人が、ラクダから振り落とされて下半身不随となり、隊長のT氏を中心としたリーダー会議で「ケガをした本人の意思を尊重して、本隊と一緒に移動する」と決まったことは前回書いた。
中国側隊長の務める南氏は、「何のために医師が同行しているんだ。ケガ人や病人の対応は医師の指示に従え」と話し、遠征隊に伴走しているバスを長澤がけが人を病院へ運ぶために自由に使っていいと文章を書いてくれていた。T氏の手前、これを持ってドライーバーや医師に依頼してけが人を病院へ搬送することになった。
ケガ人を病院へ搬送したことは前回書いた。実はもう一人、お腹が痛いというので、このバスに乗って病院へ運んだ年配の女性がいた。
ケガ人を病院へ運んでいる間、バスが本隊に戻るまでの間、医師も緊急用の車両も不在となる。そのことを見越して、体調の芳しくない人を一緒に病院へ連れていくこと。医師も車両も不在となることを参加者に説明したところ、申し出てきたのだった。
遠征を終えて帰国すると隊長のT氏からFAXが届く
それはともかく、西域南道をラクダと一緒に旅する遠征を終えて帰国後、1か月ほどして隊長のT氏から自宅にFAXが入った。
「事務局会議で、『ツール・ド・シルクロード20年計画』の隊長に、長澤さんはふさわしくないと決まりました」というようなことが書いてあった。
隊長を退くのは構わない。だが、2001年の二つの事故の際の対応を見ると、Tさんの息のかかった人が隊長を務めたとして迅速に人命第一の対応ができるようには思われなかった。
その時に、もし誰かが病気やケガをしたとき、T氏の指示に従う人が人命第一の対応を速やかにできるだろうか。難しいだろうと思った私は、直ぐにT氏にFAXをした。「地球と話す会を退会します」とした。
そして、シルクロード雑学大学に集まった仲間と一緒に自転車でローマをめざすことにしたのだった。
T氏からのFAXは証拠として保存中
この時にT氏から届いたFAXは大事にとってある。当時のFAXは感熱紙だったので、コピーして文字が消えないようにもしてある。オリジナルは光が当たらないように黒い袋に入れている。
今日は、「砂漠の友」の写真をスライドからスキャナーで取り込みながら、これらの事を思い出していた。
「砂漠の友」の奥様が、友人の荷物の整理をする中で2001年9月12日の新聞を見付けて見せてくれたことから、すっかり忘れていた事柄を思い出した。
「砂漠の友」の長男は、今しばらくは日本に滞在しているという。長男が日本にいる間に、10年程前に亡くなっている次男の写真も含めてプリントとデータで二人の砂漠での様子と砂漠の風景がわかるような写真を、奥様に届けたいと思っている。
今回の年末年始は、文字通りの一年ではなく、一念の計としたいものだ。