かかりつけ医での採血・採尿ののち、親の通院時間には間に合わず、妻に付き添いを依頼。結果として私のほうが早く帰宅した。心配したほどには気温は上がらなかったので、親も無事帰宅。助かった。
午後からは雲が多くなった。午後は相鉄線沿線で所用を済ませてから、相鉄線のある駅で途中下車して、60年ほど前に住んでいた住宅地を少しばかり散策してから帰宅。
駅とその周囲は引っ越した以後も、所用があるたびに下車して周囲は歩いたことがある。住んでいたところを訪れるのは、実に20年ぶりである。
住んでいた周囲の道路や商店街は健在。古い商店も残っていたが、隣近所は数件を除いてほとんどが建て替えられ、表札も違っていた。小学校の同級生の家もなくなっていた。世話になった個人の病院二つもなくなって新しい家が建っていた。周囲は以前とは打って変わって、すっかり高級住宅地の様相。当時は谷底の田圃を埋めて作った戸建ての住宅であった。今は道路も舗装され、排水路も下水道も整備され、地形的には谷であるが、水が出ることはなさそうである。
引っ越したのがもったいなかったような景観に感じた。
予想最高気温の36℃とはならず、曇りがちの本日は32.6℃どまり。風もあり、くらくらするような暑さではなかったが、それでも例年よりも4℃も高い。
親の通院は妻に頼み、本日は親の家で留守番役。
午後からは妻と別々に出かけて、昨日買い忘れたものを手分けして購入。暑さのためか、買い忘れなどがときどきある。暑さではなく歳が原因かもしれないと、とりあえずは笑いとばしているが、そのうち笑えない場面が出てこないように内心はビクビクである。
退職者会のブロックのニュース、原稿は9割以上はできた。写真データも送ってもらったので、2~3日で完成しそうである。今回も早めに出来上がりそう。
本日は「西行」をほんの少しだけ読み進めた。喫茶店で読んでいるうちにすっかり寝てしまった。ちょっと恥ずかしいほどに熟睡していた。
夕方に歩いて帰ったが、やはり汗を大量にかいた。帰宅してみると1万歩を超えていた。
明日は、かかりつけ医で採血をしてもらうことになっている。9時には家を出なくてはいけないようだ。診察自体は採血の結果を待って来週。
本日目を通したのは、「13.海洋詩人・西行」、「14.鴫立つ沢」、「15.西行の知友」の3編。
伊勢の海の、白石からなる答志(とうし)島と、黒石からなる菅(すが)島を詠んだ2首
★菅島や答志の小石分け替へて 黒白まぜよ浦の浜風
★合はせばや鷺と烏と碁を打たば 答志菅島黒白の浜
著者は「明るい海の風景と余裕のあるユーモア」とこの2首を評している。私は万葉の頃からの伝統である「地霊への敬意と挨拶、旅の安全祈願」の範疇に入るものであると感じた。源平の騒乱の時まで、このような短歌の伝統が生きていたという類推は私の思い過ごしだろうか。こう考えないと「ユーモア」にもならない歌なのではないか。
★心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮 (新古今集)
この1首は、私が初めて西行の歌として教わった忘れられないものである。
本日は「西行の知友」に取り上げられた歌が、印象に残っている。
まずは、いっしょに出家した西住の死を悼んだ有名な1首
★もろともに眺め眺めて秋の月 ひとりにならんことぞ悲しき (山家集)
こういう月に託した哀傷歌は西行ならでは、ではないだろうか。
西行の知友として有名なのは「寂然」である。
西行からの「山深み」で始まる10首、寂然からのかへしの10首は末に「大原の里」を配している。
この計20種の中から私が今から40年以上前にチェックをいれた4首ずつを記してみる。今の選択と変わらないのが不思議だ。
西行
★山深み窓のつれづれ訪ふものは 色づきそむる黄櫨(はじ)のたちえだ
★山深み岩にしだるる水溜めな かつがつ落つる橡(とち)拾ふほど
★山深み榾(ほだ)伐るなりと聞こえつつ 所にぎはふ斧の音かな
★山深み馴るる鹿(かせぎ)のけ近さに 世に遠ざかるほどぞ知らるる
寂然
★ひとりすむおぼの清水友とては 月をぞすます大原の里
★なにとなく露ぞこぼるる秋の田に 引板(ひた)引き鳴らす大原の里
★山風に峯のささ栗はらはらと 庭に落ち敷く大原の里
★葎(むぐら)這ふ門は木の葉にうづもれて 人もさしこぬ大原の里
各10首の中でも、「あはれ」「すごき」「こころぼそき」「かなしき」などの主観的な語を含む歌は取っていない。叙景に徹したようなものにチェックが入っているのが、自分ながら嬉しかった。言葉からおのずと醸し出される感傷が私は好みである。
そうはいってもさまざまな言葉が宗教的な意味合いを持って使われていたり、言葉がもたらす情感は西行の頃と現代とでは違いがある。私には理解できるものもあるが、理解が行き届かないものもたくさんある。それは現代の言葉の持つ意味合い・情感・喚起力で理解するしかない。
午前中は、昨日に続いて退職者会のブロックニュースの作成作業。両面合わせて75%ほど出来上がった。
昼からはふたりで買い物。親に頼まれた買い物のついでに我が家の食材の調達。といっても減量中の私は野菜中心でほとんど食べない。それでも購入しなくてはならないものはいろいろとある。
食料品以外の親に頼まれた購入品は私のリュックに詰め込み、妻は食料品の買い物を続行。私は喫茶店にもぐりこんだ。地上に出ると暑いので、地下の喫茶店で涼みがてら読書タイム。
横浜では正午直前に36.7℃ととうとう猛暑日が現実のものとなった。もちろん来年最高気温である。平年よりも8.2℃も高いらしい。しかし「観測史上最高」ではないようだ。
35℃以上にはなっている、と感じたので、地上でウォーキングをする気など失せた。月曜日ということで、比較的すいている地下街をウォーキング。
17時過ぎに一つ手前のバス停から自宅まで2000歩程を日陰を探しながら歩いた。ゆっくりと汗をかかない程度に歩いた。しかし玄関に入って立ち止ると、どっと汗が頭の天辺から吹き出てきた。あわててシャワーを浴びて着替えた。
夕食後の読書タイムをやめて、退職者会の私の属するブロックのニュースを作成を始めた。A4版の両面なので、全体のニュースに比べれば、手間はかからない。発行部数も少ない。ただし自分で印刷まで行うので、チェックまで全責任がある。誤字・脱字・言い間違いは許されない。緊張はする。
おもて面の8割程が出来上がった。
完成は明日以降で構わないので、夜のウォーキングを2500歩ほど。昼間の熱気がまだアスファルトから湧いてくるように蒸し暑かった。20分ほどで戻ってきたが、汗を大量にかいた。昼間は汗は蒸発したが、夜はだらだらと頭から垂れてきた。
明日はさらに気温があがり、横浜も36℃と猛暑とのこと。天気も不安定という予報。
最高気温が来年最高気温の34.7℃となった横浜。神奈川県下では小田原で37.7℃、海老名で35.6℃となったが、そこまでならなかったのはさいわい。
しかし横浜駅界隈はアスファルトとビルの照返しで、もっと高くなっていたかもしれない。そんな中、怖れをしらず横浜駅まで往復1万歩歩いてきた。途中で塩飴とウーロン茶をコンビニで購入して、ひと息。
本日は昨日のような不安定な気象状況ではなく、雷雨はない模様。
横浜駅は昨日よりは人出は少なかった。喫茶店では割とゆったりと読書タイム。「西行 歌と旅と人生」の「10.四国の旅」、「11.地獄絵を見て」、「12.平家と西行」までを読み終えた。
崇徳院鎮魂の作品はいつも惹かれる。
★かゝる世に影も変らずすむ月を 見る我が身さへ恨めしきかな
★よしや君昔の玉の床とても かからん後は何にかはせん (山家集)
喫茶店での読書は短時間であったが、「西行 歌と旅と人生」の「8.大峰修行」、「9.江口遊女」を読み終えた。
横浜駅界隈はとても混雑しており、家電量販店での買い物の折も、エスカレーターは人があふれ、乗り降りは少々怖かった。百円ショップの会計も混雑。ここはレジをすべて無人にしたことでかえって混乱がひどくなったと思われる所でもある。
本日入った喫茶店も満席、人の出入りが激しく落ち着けなかった。もともと人の回転を早くすることで成り立っている喫茶店なので、落ち着けることを求めること自体がまちがっているのは承知している。しかしすいているいつものオフィス街の喫茶店まで歩いていく元気が出なかった。
書店を回るのを忘れた。最近体力的に少し疲れ気味である。
本日は私も、そして横浜市の気象状況も慌ただしかった。午前中は団地のボランティア作業で大汗をかき、午後1時から団地の会議と巡回。34.6℃と気温の一番高かった時間帯に行った巡回だけに、大量の汗をかいた。
二度のシャワータイムののち、頼まれた買い物のために横浜駅まで。だいぶ草臥れたので、何年かぶりにアイスコーヒーにシロップを入れてひと息。減量中なのだが、壁を一つ越えたようなので、ひと息入れてみた。これで終わりではないので、まだまだ継続しなくてはいけない。
横浜市域の気象状況は、いつものように熱中症警戒アラート、光化学スモッグ注意報、雷注意報の外に、竜巻注意情報が神奈川県東部に出た。気象状況のほうが慌ただしい。
そして都内は猛烈な雷雨となり、その影響で東横線に遅れが出ているとのこと。さいわい横浜市内は10ミリ未満の雨であった。私が喫茶店でコーヒータイムで寛いでいたときに降ったようで、帰途地上のバスターミナルに出たときは降りやんでいた。
買い物をする前に涼んでいた喫茶店で短時間の読書。「老いの深み」(黒井千次、中公新書)の最後の4編、「鮮度の異なる〈老後の自由〉」、「行事か事件か、転倒問題」、「歳上女性からのいたわり」「西日に感じた宇宙」を読み終えた。
「六十代以降の「自由」は、前から自由業を営んできた人の自由と、新しくそれを手に入れた人の自由とでは質が異なる。・・・・定年を迎える人の手に入れる自由は新鮮であるのに対し、長く自由業生活を送った人の自由はもうかなり草臥れているような気がする。・・・・長く自由業を営んで来た人の自由はもう十分に古びており、次第に無為と似たものになってきている。老齢化という変化に助けられ、自由の中にあった危険な棘は失われつつある。老人こそ、自由に気をつけるべきなのかもしれない。」〈鮮度の異なる〈老後の自由〉〉
この視点は新鮮である。学生時代の友人とつき合う時、やはりサラリーマンであった私などの意識ばかりでつき合おうとすると、会話が成り立たなかったり、意志の疎通に齟齬をきたすことがあった。その原因のひとつがこういうことだったのかもしれない。この指摘も大切な指摘として覚えておきたい。
夕食までの間に、印刷会社から贈られてきた校正刷りを点検して3校まで作ってもらった。つい先ほど校了。いつもながら素早い対応に感謝である。予定より1週間早く出来た。これで7月22日の幹事会に納品してもらえる。肩の荷が降りた。
いつもなら、肩の荷がおりて、少し余計にお酒に手を伸ばすのだが、かかりつけ医の指導で減量中のために自重。マイナス5キロから、減量は停滞している。この壁を乗り越えないと次に進まない。耐えどころである。
以前に減量したときにも、壁はいくつもあり、それを乗り切ると次のステップは意外と楽であった。若い時のようには短時間での減量は無理だが、リバウンドしない減量にしたい。
30歳の時の17キロの減量はリバウンドしなかった。25年かけて少しずつ8キロほど元に戻った。その後の体重増は想定外。せめて50代後半の体重に戻りたいものである。
本日も熱中症警戒アラート・光化学スモッグ注意報・雷注意報が出た。3日連続である。14時ころに最高気温34.3℃。昨日より0.4℃低いとはいえ、また暑さに少し慣れてきたとはいえ、体には良くない気象条件である。
こんななか、となりのターミナル駅のそばのショッピングセンターまでウォーキング。日陰の道を縫うようにして5千歩ほど歩いてから到着。すぐには暑さと汗で買い物もできないので、喫茶店で一服。大きめのハンカチもすぐに濡れてしまった。
買い物の目的は、運動靴とサンダルがぼろぼろに見えるようになったので、ウォーキングシューズと軽いウォーキングにも耐えられる少し高めのサンダル。合わせて1万4千円ほど。そのほか百円ショップなどで買い物をしてから、帰途もウォーキング。
帰途の途中のコンビニでヨーグルトと塩飴でさらにひと息。帰宅したら1万歩を超えていた。二日続けてウォーキングで心地よい汗を大量にかいた。着ていたものはぐしょぐしょのため、シャワーののちは着替えてクーラーで体を冷やし、疲労回復のため梅干しをひとつ口に入れてから15分の昼寝。
贅沢と言えば贅沢な一日の過ごし方である。
やはり本日も熱中症警戒アラームに加えて、光化学スモッグ注意報が発令された。昼は娘と親と4人で横浜駅でイタリアンの店で昼食会。私は医師の指導で減量中のため、ズッキーニのステーキとワインを少々のみ。手が伸びてパスタを食べないように、と念じていたが、意外とその誘惑は起こらなかった。摂食がすっかりなじんでいるようだ。
この店、パスタの量が多い様で、私以外の3人はたらふく食べたが、持て余していたことも確か。3人とも少し残していた。
14時までお付き合いののち、私は所用のため別れた。ウォーキングがてら、横浜駅近くを歩いて、待ち合わせ場所へ行き、所用を済ませた。13時過ぎに最高気温34.7℃を記録した横浜の街中は日陰であっても茹だるような暑さで、頭から汗を大量にかいた。待ち合わせ場所の喫茶店で涼んでようやくひと息。雷や雷雨とならず、ホッとした。
所用を済ませてから、夕方の通勤ラッシュの東横線に乗り、副都心線に乗り入れて新宿駅経由で大久保駅まで出かけた。大変な混雑であった。
大久保駅近くの居酒屋での会合は短時間でおいとま。食べたのは焼き鳥1串とハイボール1杯半のみ。ここでも食べたいと思わなかった。
自分で自分にかけた摂食の暗示が効いているようなもの。朝は野菜ジュース1杯、昼と夜で焼き鳥1本とズッキーニ1本だけであった。ただしワイン1合くらいとハイボール1杯半が余計だった。
横浜駅までは空いており、新宿三丁目駅から座ることが出来たのは幸運であった。
本日の神奈川県では、すでに熱中症警戒アラートが気象庁から発表されている。横浜市域には雷注意報も発表された。多分昨日のように県下に光化学スモッグ注意報も出される予感がしている。
本日はこれより出かける。熱中症や雷注意報、ひょっとして光化学スモッグと外に出ると、これらのリスクは高まるが、レジャーなどではないので、予定通りにこなすしかない。
帽子、大きめのハンカチ2枚、そして途中で購入する飲料水は必携。
昨日西行の歌で今回惹かれたものを引用した。追加で3首。西行の述懐の歌に惹かれる時もあるが、今回は自然詠に惹かれている。
★横雲の風に別るゝしのゝめに 山飛び越ゆる初雁の声 (新古今集)
この1首が定家の有名な「春の夜の夢の浮橋とだえして 峯に分かるる横雲の空」に影響を与えた、という指摘がかかれている。
★白雲をつばさにかけて行く雁の 門田の面の友したふなる (新古今集)
この1首は記憶に残っていなかった。
★古畑の岨の立つ木にゐる鳩の 友呼ぶ声のすごき夕暮 (新古今集)
荒れた畑の傍に立つ多分異様な姿の木、そこで鳩が不気味な声で「友」を呼ぶ。荒涼とした寂しい風景と声に「友」が配され、人との関係を求める西行の孤独感が醸し出される。自然詠でありながら、述懐・感傷と一体。このあたりが西行の魅力とされるのであろう。