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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

年寄りの遠吠え

2024年06月27日 23時28分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 12年も前の現役時代と変わり、というか最近の時代の流れに乗らされていうべきか、現金よりも電子マネーによる支払いのほうが多くなった。現役時代は、電子マネーといっても交通系ICくらいで、現金を使わない場合はクレジットカード払いが主であったとおもう。
 私の場合は、スマホを持つようになって電子マネーが主となった。ただしバーコード決済のものは、コマーシャルが余りに軽薄なので、使う気には毛頭ならない。ああいう軽さとノリで、大切な買い物の決済を任せてしまうのが、今の風潮なのだろうか。ちょっと恐ろしい気がする。

 電子マネー、初めは三種を利用していたが、今ももっぱら一種だけ。もう一種は予備でとして登録してある。最近はこの予備はほとんど使っていない。

 さて、スーパーでもドラッグストアでも最近はレジで商品を読み取って合計金額を知らされるばかり。支払い機や電子マネーの読み取りコーナーに誘導されてそこでの決済を求められる。
 年寄りの部類に入ってしまった私などは、初めはとても戸惑った。レジを打ってくれる店員に直接現金を払うか、電子マネーの読み取りをお願いすることが無くなってしまうことに戸惑うのである。
 思い過ごしと言われようと、何か邪険に扱われているという錯覚に陥る。確かにレジでの商品読み取りと、会計という作業は分離はできるかもしれない。
 労働組合の役員としてみれば、それは業務を強引に分離して、人員の削減のための合理化である。ある意味では作業の単純化・人間の機械化をおしすすめて、少しでも機械に任せる業務の割合を増やしている。仕事の熟練化をなくし、単純化して賃金単価の切り下げをはかる理屈付けになる。働く者から「熟練」という付加価値を剥がし取っていく。
 店員に対しては、覚えなくて済む決済方法の選択の面倒さを回避してくれるので、歓迎される面もあるかもしれない。また最近はクレーマーが多い分、客との対面の要素を少しでも減らしてもらいたいという欲求が強いのかもしれない。

 客からすれば、これまで店員が仕事としてこなしていたことを客にさせる、ということである。簡単なこととはいえ、無性に腹が立つ。客の側からすると、提案もなしに押しつけられていることに変わりはない。
 こうした結果、レジでの人の並び具合、待ち時間は少なくなっているかというと、決して少なくはなっていない。レジの商品の読み取りもバーコードになり、客がバーコードを自ら読み込ませるという無人のレジも増えている。総じてレジの担当の店員が少なくなり、かえって操作について聞かれたりして店員は慌ただしくなっている。
 客は、とくに高齢の客はその慌ただしい店員達を見て、読み取り間違いや二重の読み取りなどの指摘も「申し訳ないな」と思ってやめてしまう。経営者はそれを狙っているのかと、勘ぐりたくなるのが、端からそれを観察しているのが、やぶ睨みの私のような高齢者である。

 居酒屋やファミリレストランなどでは注文も同様にタブレットになってしまった。こちらのほうがさらに操作は面倒である。私は店員には悪いとは思いつつ、タブレットでの注文はしないで、直接注文することにしている。

 私などの高齢者の発想は古いのかもしれないが、こだわりがある。
 クレーマーを減らすには、過剰すぎる丁寧言葉はやめ、店員の数を増やしたうえで、客と店員の対面時間を増やすことで解決の道を探るしかない。店員は客とのゆとりのある対面時間によって、対話のノウハウを身につけられる。そして店員の数が多ければ、クレーマーの一方的な言い分にも、数人で対応できる。クレーマーの多くは、店員が一人であることによる居丈高になる場合が多いようである。店員が数人で同時に対応すると、クレームの数は確実に減少する。
 経験豊かで定着した店員は経営者にとっては財産である。「客は神様」という言葉だけが独り歩きしていないか。本当は「店員も顧客も財産」なのではないだろうか。
 年寄りの遠吠えだろうが、こういうことはいつまでもつぶやき続けたい。

 年寄りは、機械とばかり会話したくないのである。経験豊かな店員と、ごく短時間でもにこやかな対面でのやりとりを欲しているのである。一言だけでも明るく「ありがとう」と言えれば嬉しいのである。
 もっとも飲み物などの自動販売機やら、駅の切符の販売などすでに世の中の流れである、といわれれてしまう。すでに既成事実はできあがってしまっている。若いときに無意識に受け入れたことが、高齢になってみると違和感をもたらしている。これが「老い」ということなのだろう、と受け入れるしかない。
 とはいえ世の中は高齢化していく。高齢者に冷たい金銭のやり取りを通した社会であっては欲しくない。


夏の帽子とウォーキング

2024年06月27日 21時20分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 天気予報は「曇り」とあった。確かに雲は90%以上もあり、厚く空を覆っていた。帽子を被らずに外出したら、とくどき雲が切れ、頭に強い陽射しが容赦なく当たった。晴れの間違いかと思ったが、空の雲の量はあまりかわらず、太陽のあたりだけ雲が切れるような気がした。

 出席した会議は二つだけだが、場所が離れていた。汗をかきながら桜木町、関内あたりを歩き回って、たっぷりと汗をかいた。頭の天辺もかなり日焼けしたのではないだろうか。夏の陽射しなので、例え雲が多くても、帽子は忘れないで出かけたいもの。反省である。

 しかも本日は眼科で緑内障の点眼薬も処方してもらい、薬局経由で帰宅。家についてみると1万5千歩も歩いた。かなり早いスピードで長時間歩行であったので、運動量も多かった。

 さいわい膝の痛みはない。ここ数日かなり歩いている。明日は終日雨の予報なので、膝の休養日にしたいものである。