Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

次の読書は・・・

2024年06月22日 22時48分41秒 | 読書

 夕食後には「春画のからくり」(田中優子)を読み終えた。引用なり感想は明日以降に。

 美術関係の本をここ何年も続けて読んできたが、しばらくここから離れてみたくなった。歴史や宗教や社会学的な分野の本も美術関係からの視点で選択して読んできた。
 美術については引き続き作品そのものの鑑賞を中心に移行していきたい。しばらくは他の分野に重点をおいて読んでみたい。他の分野が何にするかはまだ決めていない。

 今手もとにあるのは、「西行 歌と旅と人生」(寺澤行忠、新潮選書)、「予告された殺人の記録」(G・ガルシア=マルケス、新潮文庫)、「石垣りんエッセイ集 朝のあかり」(石垣りん、中公文庫)、「鬼の研究」(馬場あき子、ちくま文庫)、読みかけの「永瀬清子詩集」(岩波文庫)、「楽天の日々」(古井由吉、草思社文庫)、そして棚にあるのが目に付いた「平家物語」(上・中・下、新潮日本古典集成)。とばらばらで方向性も一致していないものばかり。これ以外にも選択肢はある。
 今のところ「西行」と「鬼の研究」、「予告された殺人の記録」に惹かれている。石牟礼道子の「苦海浄土」全体を読みたいのだが、果たして手に入るだろうか。

 悩みつつ、これより入浴準備。


「老いの深み」 4 老いと無為

2024年06月22日 19時42分34秒 | 読書

 昼間は、昨日とは打って変わってとても過ごしやすい良い天気となった。湿度も低く、気温も50%台。
 夕方になり湿度は上がってきた。また雲も多くなり、現在は全天厚い雲に覆われてしまった。

 お昼まで団地のボランティア活動で汗を十分に流した。昼食休憩を長めにとって、15時近くにいつものとおり、横浜駅近くのオフィス街にあるいつもの喫茶店でコーヒー&読書タイム。室内は満席だったので、テラス席。本日の陽気ならばこれで十分。少し風が強かったが、29℃ほどの暑さを和らげてくれた。

   

 「老いの深み」(黒井千次)と「春画のからくり」(田中優子)をかわるがわる。

 「老いの深み」に収録してある「仕事机の前で無為の時間」は身につまされた。

何か仕事をするために、机の前に坐っていた。そこで果たすべき仕事を持たぬ人間は、そこに坐ってはいけてないのかもしれない。・・「仕事机」の反対語は「安楽椅子」であろうか、などと考えたりする。

 現役の時は、家に帰ると妻や娘には申し訳ないと思いつつも、ひたすら自分の机の前に座り込んで組合の資料の作成などに追われていた。時々は仕事の持ち帰り残業もしていた。机の前に座れば仕事であった。読書は電車のなかか、居酒屋へ一人で息抜きに入るときにむさぼるように読書時間を確保した。
 現在、パソコンを設置したデスクの前に座ると、隔月の退職者会ニュースの原稿づくりやら毎月の会議の資料づくりなどの作業はあるが、さいわい事務局長ではないので、それほどの事務量ではない。読書は喫茶店で毎日30分から1時間。夜ベッドの中で1時間程度は確保している。
 空いた時間にパソコンの前に座って、無為の時間を過ごしている自分に驚くことがある。ただ座ってボーッとしている時間があることに驚くのである。パソコンの前に座る姿勢では読書ができない。
 「老いの深み」の筆者は、「〈無為〉という言葉があと頭の後ろに浮かぶ。それに呼び出されたかのように〈老い〉という言葉が頭の裏に浮かぶ」と表現している。〈ムイ〉と〈オイ〉の共鳴に筆者はそれは「〈オイ〉を生み出す」「興覚めする」という。
 私もその〈ムイ〉が耐えられなくなると、リビングルームの椅子に座りテレビを見るともなく眺めているが、それでも落ち着かなくなり、ベッドで読書を始める。そういう時に限って、読書に身が入らず、いつの間にか寝ている。

 あれも読みたい、これも読みたいという焦る気持ちばかりがつのり、もがいているものの、居眠りという空回りをしてしまう自分に呆れ、「興覚め」してばかりである。
 辛辣な私の友人はきっと、それが〈オイ〉そのものであると冷たく言い放つと思われる。