Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「老いの深み」から 3

2024年06月19日 22時53分51秒 | 読書

   

 「老いの深み」(黒井千次)のⅢ「危ない近道の誘惑」の12編を読み終えた。今回目を通したいづれも自分としては、なるほど、と素直に理解できた。

テレビのコマーシャル画面における階段を昇る人の軽快な動きの美しさ、好ましさは否定しようがないけれど、しかし一方、それが実現しているのは、老いの果実が身の内に稔ろうとする動きを拒み、遠ざけようとした結果ではないのか、と考えてみたい誘惑を覚えずにいられない。・・・マケオシミついでにいえばその場合に一つだけはっきりしているのは、〈老い〉の中らに〈若さ〉は拒まれていることだろう。」(「若さを失って得られる〈老いの果実〉」から)

 「健康食品」や「機能性表示食品」なるもののコマーシャルの効能の嘘やトンでも論理については、近いうちにこのブログにも記載したいと思っていたが、こういう視点もなかなか面白い。
 私はこの文章の程度に「負け惜しみ」をいう筆の運びが気に入っている。コマーシャルのあの過剰な〈若さ〉の強調にはいつもうんざりしている。〈若さ〉ばかりが価値ではないという視点でものごとも考えてみるのもいいのではないか。私はそのほうが、それこそコマーシャルとして成功するようにすら思っている。

〈若さ〉や体力を失ったかわりに、〈老い〉の細道を辿ったからこそ見えてくるものがありそうな気がする。背筋を伸ばして階段を昇ることは難しくとも、足もとの地面にしゃがみこんであたりを観察する機会が生まれるかもしれぬ。・・〈若さ〉の速度や視覚が見落としているものの姿が、まざまざと目に映るということがあっても、不思議はないだろう。貯えられた〈知〉が〈老い〉を豊かなものに変えていく可能性は十分にある。」(同)

 こういう視点の変容を私はいつも気にかけていたい。そんなことが少しでも匂わせるものをこのブログにも記載したいものである。


夜のウォーキング

2024年06月19日 09時00分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は22時過ぎに夜のウォーキング。夜のウォーキングとしては久しぶりに5000余歩歩いた。涼しいくらいであったが、かなりの早足で大汗をかいた。このような汗をかいたのは膝を痛める前だったはずである。ずいぶん回復したと思う。本日膝が痛まないか、少し心配。
 昼間は一歩も外に出なかったので、歩数計の数値はこの5000余しかカウントがない。爽快感があるが、何となく寂しい。

 朝までにはすべての注意報が解除された。本日、気温は30℃を超えるものの、湿度は昼間には45%未満まで下がるという予報になっている。意外と過ごしやすく感じるかもしれない。

 10時半過ぎには外出予定。