「東都佃沖」とは無論現在の佃島隅田川の河口から佃島を見ている。当時は江戸にはここまで大きな船が入り、小さな船に積み替えて江戸市中に運ばれた。
ここでも縦の帆柱6本と海と葦原、そして地平線の横軸が直交している。遠景の雁の群れと手前の7羽の鳥も上下で呼応している。
一昨日の「さがみ川」と構図は似ているが、大きく描かれた人物が消え、船をこぐ人物がごく小さく4人ほど描かれている。この作品も富士山は遠景にぽつんと添えられるように巣が枯れている。北斎の富士山は鋭角な頂上を持ち、小さく描かれる場合もランドマークのように人々を厳しく見つめる。時には荒々しく厳しい自然の象徴のようである。
一方、広重の富士は鈍角で実景に近く、そして人々の営みを見守るように添えられている。鎮守の守のように人の営みを含む風景に溶け込んでいる。
この対比が不思議なのである。北斎の冨嶽三十六景は横長の画面である。広重の冨士三十六景は縦長である。横長のほうがどちらかというと緩やかで安定感があり、落ち着いた画面だと感じるのだが、北斎と広重ではその反対の印象である。北斎の画面のほうが人物にも自然の現象(雨・風・波‥)動きがある。
これはもう少し見比べながら味わいたと思う。私は北斎の作品も広重の作品も好きである。どちらにも惹かれている。