Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

違和感がさらに増幅

2021年02月11日 21時27分13秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 森喜朗の辞任問題でおおきくクローズアップされたのが、組織委員会という組織の運営の在り方、理事会が理事会としての役割を果たしていないのではないか、ということであった。
 会長が一人で40分も長々としゃべり続けた会議とJOCの山下会長が暴露していた。その問題の発言をめぐって異論も出なかったとのこと。
 さらに今度は会長が辞任するにあたって、女性蔑視発言の責任を取って辞任するという会長が、理事でもない川渕某に次期会長を依頼したという。川渕某が「森さんがぜひ後を引き継いでほしいと推薦するという意味です。引き受ける引き受けないというよりも、外堀を埋められていた感じがあって。森さんの意向に反して、勘弁してくれとは話の中では言えない状況、とても気の毒で」と答えたとのことである。
 問題を起こして辞任する会長が、理事でもない人を推薦する権限を、現理事会はいつ決めたのか。
 問題を起こした会長が辞任するならば、まず副会長などが正式に理事会を招集して、次期の会長の選出について議論の上、必要ならば選考委員会などを開くなどの次のステップが必要である。理事以外の人を招致するならば、まずその人を理事として承認したうえで、会長を選出する手続きを経なくてはならない。そんなこと小学生でも知っていなくてはならないことである。

 辞任する会長が口をはさんでしまったら、それは「院政」という規約にもない、運営がさらに続くことを意味している。
 この選考過程の不透明さこそが、組織委員会の抱えてきた問題ではないのか。理事会という基本的な機関運営を経ないで、物事や重要人事が理事会と無関係なところで動いていく。これを改めない限り、オープンな組織とはならない。
 そして残念ながら、川渕某がそのことを踏まえないで発言するということは、今後も組織委員会の組織の運営は不透明なまま、ということである。

 森喜朗の辞任を機会に、組織運営のあたりまえの改革が求められたが、とうとうその機会は訪れなかった。今後も湯水のように金を使い、精神論でオリンピックを強行しようとする路線に変更はないということである。
 これからの組織運営のチェック体制は、国費を注ぎこんだ以上、国会や都が大きな関与をしなくてはいけないはずである。そもそも開催都市は東京都である。東京都や、多額の金を出す国が理事会に影響力を行使できず、問題が起きてもイニシャティブをとれない「組織委員会」という存在がおかしいのではないのか。

 日本的組織運営という言葉で一般化してしまうのは、あまりに危険であるが、このような組織運営を克服する道はあるのだろうか。政治組織がもっている組織運営が色濃く反映したものなのか、あるいは逆に会社や各社団体の組織がそのような組織運営であるがゆえに政治的組織がそれを引きずっているのだろうか。双方向で影響しあっていると断定したくもなる。
 しかしこれも「女というものは‥」「男というものは‥」「団塊の世代は‥」という一般化の極論ではなく、きちんと検証する必要はありそうだ。そこまでの能力はない私は、せめて自分の関わる組織ではそのような運営はしないと、50年前に決意して持続しているつもりである。これを続けるしかない。同時にそれを常に主張し続けるしかない。


カワヅザクラとコブシ

2021年02月11日 19時42分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 本日横浜駅のそばの緑道でカワヅザクラとコブシが目についた。コブシは花芽がかなり膨らみ、芽のまわりの毛から温かみを存分に感じた。
 隣に植わっているカワヅザクラには早いもので一輪咲いていた。行き過ぎる方が立ち止まってスマホで撮影していた。わたしも木全体が赤っぽくなっているのはすぐにわかったものの、そばに寄るまでは花が開いているとは気が付かなかった。
 幾枚も撮影したけれども、残念ながらスマホのカメラではどうしてもこの開いている花にピントが合ってくれなかった。明日か明後日には一眼レフをもって撮影してみたい。


ベートーヴェン「ピアノ三重奏曲第4番、第5番、第7番」

2021年02月11日 16時56分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日に続きベートーヴェンのビアノ三重奏曲を聴いている。本日のCDは、第4「街の歌」、第5「幽霊」、第7「大公」と名前のついている3曲。演奏はボザールトリオ。1964年の録音で2001年に発売されたもの。
 こちらの演奏のほうが、音が柔らかく、厚みがあるように私には聴こえる。昨日まで聴いていた演奏はヴァイオリンの音がかたく、金属音のように擦れて聴こえるのは、弦の選択によるものとは思えないので、私の耳のせいか、楽器のせいか、演奏者によるものなのか。
 このCDは購入した当時、ずいぶん聴いた。

 不思議なもので、3曲ともいい曲だと思うのだが、すぐに覚えてしまうのは第7番「大公」の第1楽章の冒頭から繰り返される「B♭-D-A-B♭-F」。この音型が執拗に頭の中で駆けずり回り、記憶されてしまう。
 心地よくて、気分が高揚するような音型なので、覚えてしまうことに抵抗はないのだが、これが執拗に頭の中で繰り返されるようになると、それを止めるのに苦労する。60年も前のコカ・コーラのように依存性のある飲み物などを繰り返し飲んだときのようなものである。
 第2楽章も、第4楽章の冒頭の旋律も同様に頭の中にすぐに入ってしまって、なかなか抜け出てくれない。
 なお、この「大公」の作られた1811年前後はナポレオンの絶頂期。楽曲一覧を追ってみると、ベートーヴェンはこの年に第7番の交響曲を作り始めているが、有名な曲は目につかない。幾人かの女性との手紙のやりとりが有名であるが、他にはゲーテとの手紙のやり取りが始まった年でもあると聞いた。