最近はとんと雁が渡って来る姿を見ることがなくなった。1960年代前半、横浜市の西の端に住んでいたころ、近くの高台に上ると富士山や丹沢山系が近くにどっしりと見えた。その景色を背景に秋になると雁の渡る姿を時々見かけた。夕日に映えた富士山や丹沢の山々のすぐ上に見える姿は印象的であった。特に知識はなかったが5年生だったか6年生の私にもすぐに「あれが雁の渡りなのだ」とわかった。十数羽がさまざまに形を変えながらも独特の隊列で飛行する。学校帰りに一人で眺めていたら、傍を通る大人が「雁が来る季節だね」と会話をしていて、嬉しかった。同時に秋の寒さを感じた。多分9月も過ぎて、10月くらいに見かけたと思う。
中学3年までその地に暮したけれども、中学生の頃にはすでに見た記憶がない。田んぼの農薬により、数が激減していた時期と重なるのかもしれない。
今では横浜市の中心部におり、富士山や丹沢山系の姿は遠くになり、水田は近くにはまったく存在することはなく、その渡りの姿を見ることは無くなってしまった。
富士山や丹沢に夕日がかかるのを見るたびに、雁の渡りを思い出す。
★雁のこゑすべて月下を過ぎ終る 山口誓子
★一列は一途のかたち雁渡る 西嶋あさ子
★亡き兵の妻の名負ふも雁の頃 馬場移公子
当時、どこかの書物に、家族のきずなの強い雁は、先頭がかわるがわる交代して、お互いの疲労が均等になるように飛んでいる、という記述があったと記憶している。しかし私が見る限り、先頭を変わっているようには思えなかった。この話の真偽、だれか教えてくれないだろうか。
さらにもう一つの雁にまつわる思いがある。伊藤若冲の動植綵絵には「芦雁図」があるのだが、大きく1羽を描いている。下りてくる様でる。これもまた雁の飛翔の特徴をよくとらえていると思うのだが、群れを成して飛ぶその姿を、若冲ならどう描いたのだろうか、その思いがいつも浮んで来る。それほど私はあの渡りの飛行が頭に残っている。