Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

星を見る

2010年01月22日 23時58分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨夜、新年会終了後約7㎞を歩いて帰宅。気温が下がり風も強く、身をすくめてしまう。姿勢をたださなくては、と胸を張るが、いつの間にか前かがみで、つんのめりそうになりながら歩いている。
横浜のみなとみらい地区の合間はいつもに増して強烈なビル風が吹き荒れていた。出たばかりと思しき半分の月が高層ビルの間からのぞいたのには気付いたが、星はビルの明かりに消されて探す気もおきなかった。
星をじっくり見たのはいつだったか。山の頂上付近で宿泊した時はいつだったか。一昨年の早池峰山の小屋では、天空の半分以上は山の影で北極星の周囲しか見ることが出来なかった。
 その前の蔵王縦走では曇って見えなかった。もう7年も前、山での星空は2003年の夏の乗鞍岳で見たのが最後か。その時の夜空は雲ひとつ無く、星空を満喫した。
 寝転べは峰から峰へ天の川 (Fs)

 山での星空はいくつか思い出があるが、勤めてから35年、都会での星空の記憶はまったくといっていいほど無い。仕事とそれに関連する日常に追いまくられて、空を見る機会を失ってしまっていると断言できる。
 俳句を2002年にはじめたときから身の回りの自然、特に植物や動物や気候には目が向いたが、星の俳句は上の俳句ぐらいだと思う。夜は闇であり、花の匂いをそれとなく感じるだけとなっていた。
 五月闇水の匂いのその先に (Fs)

 わが団地の西側は丹沢と富士がよく見える。仕事の帰り際、西の空に宵の明星、オリオン、シリウス、木星・土星などの雄大な眺めを見ることがあっても、立ち止まってじっくりと眺める心の余裕はこの30余年無かった。
 学生時代、サークルで仙台の冬の空の下で流星観測や、暇なおり、ただひたすら星空を見ることをよくした。星空の観測は寒気が身に沁みて、外気に体の心まで侵食されて始めて「星を見つめた」という気分になるものだということを体験した。凍えた体で部屋に戻ると、暖房の効いていない安アパートの中も暖かく感じた。
 この歳でそこまですれば風邪をこじらせること間違いはないが、せめて外気をいっぱいに体に沁みさせるように深呼吸をしながら、星座を20個くらいは同定するまで、星を見ていたいものだ。
 そんな心のゆとりが痛切にほしいと思うようになった。
 夜のウォーキングにこんなに精を出していながら、星座のひとつ、惑星のひとつ、一等星のひとつ見つけないで、1時間以上も歩いているなんて‥。