Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

丹沢の眺め

2010年01月14日 04時06分28秒 | 山行・旅行・散策
 横浜では昨日の朝、丹沢が白く雪化粧。嵐の時のような低い黒っぽい雲を従えていたが、しだいに速度を増して晴れ渡って行く途中と見受けた。くっきりと近くに見える丹沢を私はとても美しいと感じる。
 神奈川県の各地域からの丹沢は、その位置によって大きく姿が変わる。横浜市内からもずいぶんと違う。大山が塔の岳、鍋割山、三の塔などとの位置を変えて見える。時には独立峰の様に、時には他の山と区別無く。
 まだ小学5・6年生だったころ横浜のもっとも西に近いほうから毎日丹沢とその向こうに富士山を正面に見ながら毎朝近くの駅まで15分通った。そのときは丹沢という名も知らなかった。冬の間少なくとも12月から2月までの大半は雪をかぶっていたように思う。また秋と春の雁の渡りを丹沢と富士をバックに見飽きることなく眺めていた。
 横浜に戻ってきて、横浜駅の近くから眺める丹沢と富士を毎朝見るようになって、「やあ久しぶり」という声をかけたくなった。しかし少し遠めになり、しかも富士と丹沢が離れて見える。この見え方の差、そして丹沢と富士の距離の微妙な差が面白い。横浜は坂が多い。坂を上りきったところに、丹沢と富士が微妙な距離感を持ちながら鎮座しているのを見るたびに、その微妙な差を楽しむことにしている。港から、根岸の山の上から、権太坂の上から、上大岡の高台から‥。横浜・川崎あたりからの眺めが遠すぎず、近すぎず良いのかもしれない。
 富士が大きすぎても、小さすぎても良くない。高くつんと澄ました富士、頂がつらなり横に広がる丹沢。丹沢はどの峰もしゃしゃり出ることはなく、全体としてどんと構えている。ゆったりと豊かな水と森とそこに生息する動植物を抱えている豊かさを感じる。
 丹沢は褶曲で海から持ち上がり、富士は火山。太平洋の海底とともに海溝まで来て、列島の下にもぐりこめずに列島と衝突しのし上げられた丹沢、列島の下にもぐりこんでからマグマとなって噴出してできた富士。出生の差がそのまま形の差となり、気象の差となり、人の暮らしの差となった。
 先日東北新幹線を北上したとき、大宮のあたりで富士が後方に見えた。あわてて振り返り見たが、富士が大きすぎて丹沢は前衛の山、富士の飾り物、あるいは付属物のように見えてしまった。遠くから眺めると富士が圧倒的にその存在を主張する。生まれも育ちもちがうのに、その飾り物、付属物では丹沢にとっては不本意だろう。つい同情してしまった。
やはり横浜・川崎あたりからの眺めが丹沢には良い。この差が信仰の差となっている根拠かもしれない。大山信仰は江戸・相模だ。
 最近では2月の数日しか、雪をかぶることはないように思う。しかも数日で雪は見えなくなってしまう。実際に山に登ると雪はあるのだが、横浜からは白くは見えない。小学5・6年生の時は幾週間も連続して白かったように記憶しているのは、間違いだろうか。そして雁のわたりは見ることはなくなった。
 しかし街中で、季節による気温の差や景観の違いを感じながら丹沢を見ると、山の表情に微妙な差を感じる。山の色の差が実際に見えるほど近くは無いのだが、春から秋にかけて変化しているように見てしまう。
そして雪をかぶるとその劇的な色の変化、透明度の変化に身がきりっと引き締まる。そんな交流を楽しみながら一年を通してつきあえる丹沢である。

先週の購入
・「万葉集」全4冊(伊藤博 角川文庫)
 これまで万葉集の歌に言及したものを読むときは角川文庫の万葉集上下を傍に置いていた。これは現代語訳はないが二巻で手元に置きやすく重宝していた。こんど現代語訳をつけて四巻になったのが、手ごろであることには違いない。訳のついていない評論などを読むときには便利だろう。
 伊藤博氏のものは集英社文庫の10巻本もある。伊藤博という方、どのような方かは存じ上げないが、大変世話になっていること間違いない。7年ほど前になくなったとのこと。感謝の気持ちを込めて、哀悼の意を表させていただきます。