さとうてるえさんのきり絵と私の文で綴った小冊子からの8回目。
JR関内駅のそば、線路の海側にある。電車の窓からは裏側を見ることになるが、すぐにそれと分かる。私は学生時代6年間、市電と根岸線から見続けた懐かしい建物だ。
改築で鉄筋コンクリートとなったが、光の反射の具合や色合いなど昔のような石造りの雰囲気がある。改築前後に変化は感じられなかった。
正面玄関の12段の階段下から特徴のある船底型アーチを見上げると、覆いかぶさるような大きさと奥行きを感じる。そして高架を走る電車から見おろす視点にも耐えられる意匠に敬意を表そう。
内部を見る機会に恵まれないのが残念だ。過日、信者の悲願であったパイプオルガン設置の報道がされ、この建物の外観をあらためて記憶から思い起こした。内部でパイプオルガンの演奏を聞いてみたい。その響は期待できそうだ。
左右の新しいビルに埋没してしまわない強さがある。冬の柔らかい陽光がつくる光と影が、よく似合う。聖公会の城砦のような剛直な印象がないのは、窓が占める割合が大きいことと、塔が正面道路に接していないことに起因していると思う。
こちらの教会は、開港の歴史と、居留者の信仰の歴史の重みを感じさせてくれる。
横浜指路教会:現在の建物は1912年に建てたものに、より近い形で1989年に復元されたもの。ヘボンゆかりのプロテスタント教会。外観はパリのノートルダム聖堂に似せている。船底型で奥行きのあるとがったアーチ型の玄関・窓枠が特徴。2000年を記念してパイプオルガンを導入。
本日は、親族のあとについて池袋傍の護国寺、鬼子母神に初詣。例によって私は「信仰」と「拝礼」はどうも苦手なので、並ばずに境内を拝観。ただし拝観のお礼はしなくては礼を失するので、門のところで自己流の礼はキチンとする。拝観のお礼は妻子のお賽銭におまかせ。この不信心、そのうち罰があるかもしれない。その後は元日恒例の親族の家に集まっての会食。
JR関内駅のそば、線路の海側にある。電車の窓からは裏側を見ることになるが、すぐにそれと分かる。私は学生時代6年間、市電と根岸線から見続けた懐かしい建物だ。
改築で鉄筋コンクリートとなったが、光の反射の具合や色合いなど昔のような石造りの雰囲気がある。改築前後に変化は感じられなかった。
正面玄関の12段の階段下から特徴のある船底型アーチを見上げると、覆いかぶさるような大きさと奥行きを感じる。そして高架を走る電車から見おろす視点にも耐えられる意匠に敬意を表そう。
内部を見る機会に恵まれないのが残念だ。過日、信者の悲願であったパイプオルガン設置の報道がされ、この建物の外観をあらためて記憶から思い起こした。内部でパイプオルガンの演奏を聞いてみたい。その響は期待できそうだ。
左右の新しいビルに埋没してしまわない強さがある。冬の柔らかい陽光がつくる光と影が、よく似合う。聖公会の城砦のような剛直な印象がないのは、窓が占める割合が大きいことと、塔が正面道路に接していないことに起因していると思う。
こちらの教会は、開港の歴史と、居留者の信仰の歴史の重みを感じさせてくれる。
横浜指路教会:現在の建物は1912年に建てたものに、より近い形で1989年に復元されたもの。ヘボンゆかりのプロテスタント教会。外観はパリのノートルダム聖堂に似せている。船底型で奥行きのあるとがったアーチ型の玄関・窓枠が特徴。2000年を記念してパイプオルガンを導入。
本日は、親族のあとについて池袋傍の護国寺、鬼子母神に初詣。例によって私は「信仰」と「拝礼」はどうも苦手なので、並ばずに境内を拝観。ただし拝観のお礼はしなくては礼を失するので、門のところで自己流の礼はキチンとする。拝観のお礼は妻子のお賽銭におまかせ。この不信心、そのうち罰があるかもしれない。その後は元日恒例の親族の家に集まっての会食。