蛇口が取れた

4年半の杭州生活を終え、ついに帰国。現在、中国人化後遺症に悩まされ、好評リハビリ中。

同情するなら稲を食え

2006-11-23 02:02:12 | 中国・その他地域
先日も書きましたが、寧波地域へ行きました。
日本からある有名大学の元教授が来たので、その接待で。
なんか至れり尽くせりのもてなしで、
その元教授10日間の杭州滞在中、常に誰かがお供していろんなところを見学。
しかも、費用は全部うちもち。
う~ん、羨ましい。

というわけで、
ボクはたまたまその日が空いていたのでお供したわけ。
1泊2日のプチ遠出。

でどこに行きたいか、ということで、
まずは稲作が行われていたことが明らかになった余姚市の河姆渡遺跡へ。
あ、なんか世界史の教科書で見たことある、
と思った人は、単位未修ではない人ですね、きっと。

その元教授、かつてある大学で東洋史概説なる科目を担当していたとのこと。
そのとき、話していたのが河姆渡遺跡だそうで、思い入れが強いらしい。
だって、河姆渡遺跡と良渚遺跡だけで半期終わったらしいよ。
おいおい、それでいいのか、東洋史概説。

とにかく、杭州から車で行くこと約2時間で当地に到着。
ところが、どこにも遺跡らしいものは見あたらない。
それもそのはず、船に乗って河を渡らなくてはたどり着かない仕組み。

なんとも呑気な感じの渡し船。
ものすごいゆっくりの渡し船。
それもそのはず、方言丸出しのおじちゃんが人力で漕がなきゃ進まない仕組み。

博物館は、まあなんとも、といった感じの場末感バリバリのもの。
有名な遺物は全て複製品で、申し訳なさそうに拡大写真がある程度。
いいものは全てほかの博物館にもってかれているようです。
だって、杭州市内にある浙江省博物館でみたことあるもん、ホンモノ。

にもかかわらず、博物館内で別の日本人グループに遭遇。
博物館内の瞬間日本人率90%以上だったはず。
どこにでも出現するか、日本人。

遺跡は野ざらし、雨ざらしの状況の中、保存されています。
写真は、遺跡にあった井戸。
保存の様子がうかがえる一枚となっております。
しかし、大丈夫なのかね、こんな状態で。
中国の文化財や遺跡に対する考え方って日本と大違いな気がします。

さて、見終わった後の移動中に、
いつの間にか情報を仕入れていた運転手さんから聞いたところによると、
河姆渡遺跡の近辺に遺跡が発見されたとのこと。
運転手さんは詳しい年代までは知らなかったようですが、紀元前だと言っとりました。
先ほどの日本人グループはこの遺跡の調査に来ていたようです。

やっぱりすごいな、日本人。
なんだかすごいね、日本人。

続きは次回。