マケドニアのアレクサンドロス大王のペルシャ・インド遠征を題材に、アマゾネスの女王タレストリア(後にアレストリア)をアレクサンドロスが妻にするという設定を加え、アレクサンドロスとタレストリアの生き様と愛を描いた物語。
幼少期虐待され、父の暴虐を呪ったアレクサンドロスは、父を暗殺して王となるや残虐の限りを尽くし、それに対する違和感や苦悩をほとんど見せません。タレストリアと恋に落ちた後もタレストリアをおいてインド遠征の戦いに明け暮れます。ラストで瀕死の重傷を負いほとんど動けなくなってアマゾネスに同行して戦いを捨て自然に生きることになりますが、それは本人の選択とは言えません。アレクサンドロスの運命の皮肉を書きたいのかも知れませんが、人間としての成長・変化の過程が読み取れません。
タレストリアの方も強靱な戦士として戦闘に明け暮れていたものが、アレクサンドロスと恋に落ちるや街の王宮に囲われただの待つ女になってしまいます。物語はアレクサンドロス、タレストリアに加えてタレストリアの侍女タニアの3者の視点から交互に描かれ、戦いと仲間たちを捨てたタレストリアへの批判的な視点が混じりますが、タレストリアの変貌もただ愛に目覚めたというだけで、今ひとつ納得できる流れになりません。自立した女も強い男と恋に落ちればただの専業主婦・産む性になるのが幸せよって言っているようで嫌な感じ。ラストでアレクサンドロスが瀕死の重傷を負ってアマゾネスに戻るタレストリアと同行というか連れて行かれるので逆転はしますが、それも単に運命のいたずらでしかたなくって感じもして主体的な選択を読み取りにくい。
女性作家が強靱な戦士として生きたアマゾネスの女王を描くならもっと主体的な人生を描いて欲しいし、アレクサンドロスを題材にするならば、より内面的な成長や苦悩を描いて欲しいと思います。今ひとつ人間としての生き様や内面の変化というのが書き込めていない気がしました。

原題:Alexandre et Alestria
シャンサ 訳:吉田良子
ポプラ社 2007年7月27日発行 (原書は2006年)
幼少期虐待され、父の暴虐を呪ったアレクサンドロスは、父を暗殺して王となるや残虐の限りを尽くし、それに対する違和感や苦悩をほとんど見せません。タレストリアと恋に落ちた後もタレストリアをおいてインド遠征の戦いに明け暮れます。ラストで瀕死の重傷を負いほとんど動けなくなってアマゾネスに同行して戦いを捨て自然に生きることになりますが、それは本人の選択とは言えません。アレクサンドロスの運命の皮肉を書きたいのかも知れませんが、人間としての成長・変化の過程が読み取れません。
タレストリアの方も強靱な戦士として戦闘に明け暮れていたものが、アレクサンドロスと恋に落ちるや街の王宮に囲われただの待つ女になってしまいます。物語はアレクサンドロス、タレストリアに加えてタレストリアの侍女タニアの3者の視点から交互に描かれ、戦いと仲間たちを捨てたタレストリアへの批判的な視点が混じりますが、タレストリアの変貌もただ愛に目覚めたというだけで、今ひとつ納得できる流れになりません。自立した女も強い男と恋に落ちればただの専業主婦・産む性になるのが幸せよって言っているようで嫌な感じ。ラストでアレクサンドロスが瀕死の重傷を負ってアマゾネスに戻るタレストリアと同行というか連れて行かれるので逆転はしますが、それも単に運命のいたずらでしかたなくって感じもして主体的な選択を読み取りにくい。
女性作家が強靱な戦士として生きたアマゾネスの女王を描くならもっと主体的な人生を描いて欲しいし、アレクサンドロスを題材にするならば、より内面的な成長や苦悩を描いて欲しいと思います。今ひとつ人間としての生き様や内面の変化というのが書き込めていない気がしました。

原題:Alexandre et Alestria
シャンサ 訳:吉田良子
ポプラ社 2007年7月27日発行 (原書は2006年)