「三十三間堂」は、天台宗の寺。正式名は蓮華王院、本堂内の柱間が三十三ある所から「三十三間堂」と呼ばれる。
本尊 千手観音坐像、1164年 後白河上皇の命により平清盛が建立。
「湛慶」の作品は、木造千手観音坐像 ・三十三間堂本尊、国宝・ 木造毘沙門天及び両脇侍立像 - 雪蹊寺(高知県高知市) 3躯 彩色玉眼、
1225年頃、重要文化財 。 木造善妙神立像・白光神立像 高山寺 2躯 彩色玉眼、重要文化財、 銘記はないが湛慶の作と推定、
高山寺諸像も同様に湛慶作だとされる。
狛犬 - 高山寺(京都市) 3対 木造彩色、1225年、重要文化財。 神鹿 - 高山寺(京都市) 1対 1225年、重要文化財。
仔犬 - 高山寺 1躯 木造彩色玉眼、1225年、重要文化財 鹿と仔犬の彫像は、写実的な表現で、あらゆる動物に仏性を見出したという。
天台宗蓮華王院・三十三間堂(秀吉南大門再建寄贈・太閤塀)
「後白河天皇」 1127-92 公家政権を守った王朝最後の天皇、77代天皇 鳥羽天皇の第四皇子。
平清盛の甥を高倉天皇即位させている。源頼朝は、法皇を「日本一の大天狗」を評している。
「平清盛」 1118-81 平家の棟梁 福原へ遷都したが、源氏の挙兵で京都に戻る。頼朝の首を供えよと遺言したが4年後滅亡する。
1249年焼失。1266年再建、1586年に豊臣秀吉の方広寺に編入、秀吉没後妙法院に属し現在に。
本堂内の柱間が33ある。
秀吉は、南大門を再建し、築地塀(太閤塀)を寄進している。
風神像
本堂は、院政期文化の貴重な遺構で、堂内に1001体の千手観音立像などを安置している。
本尊千手観音坐像(1001体の千手観音像安置)
国宝ー本堂・千手観音坐像(湛慶作)、二十八部衆立像・風神雷神像。重文ー千手観音立像1001体・南大門・塀など。
雷神像
境内で弓道競射の「引初め通し矢」が、
後白河院と秀吉の面影がそこそこに残る鴨東は、かつての政治・文化の中心地であった。京都駅に近い。
1164年後白河上皇の命で平清盛が建立
「京都国立博物館、展示館」は、宮内省内匠寮技師「片山東熊氏設計」の本館、と建設中の平常展示館がある。
所蔵品には国宝27件、重要文化財181件(2006年3月現在)が含まれ、建物自体も、本館、表門(正門)、同札売場及び袖塀が1969年、
「旧帝国京都博物館」として国の重要文化財に指定されている。
技術資料参考館(旧恩賜京都博物館陳列品収納用倉庫)が2008年(平成20年)、国の登録有形文化財に登録されている。
1965年に竣工し翌年開館した京都大学名誉教授「森田慶一氏設計」の新館があったが、展示館は解体され、平常展示機能を持つ
百年記念館が建設中。同じ谷口吉生設計の南門ミュージアムショップは2009年に先行オープンしている。
モダンな博物館
これで京都の旅は終了しますが、次回、最後に伏見の清酒について触れておきます。