syuの日記・気まま旅

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世界遺産・東寺

2013-05-16 | 気まま旅


京都駅に近く、南西部に位置し、東は鴨川で東山区と伏見区に、西は西京区・向日市に、北はJR東海道線で下京区と右京区に、そして南は伏見区と接しいる。高低差のない京都盆地上にあり、海抜の最高は東九条河原町付近で28メ-トル、最低は上鳥羽塔ノ森東向町付近で14.58m。

区の西部を桂川が、東端は鴨川が、また、区内の中央部を西高瀬川が流れ、桂川に合流する河川の多い区、南区の九条通より北側の地域は平安京の南端にあたる。
平安京の朱雀大路は、都の中央を南北に貫く道幅80mの大通り、この朱雀大路と九条通が交わる位置には都の正面玄関である羅城門が置かれ区その東西には、都にただ二つしかない寺院として、東寺と西寺が同じ規模で左右対称に配置されという。

世界遺産「教王護国寺・東寺」

南区九条にある真言宗の単位寺院。山号八幡山、本尊 薬師如来。

洛中南区九条町                     世界遺産東寺
    

平安遷都に伴い、796年羅城門の東に左京、東国を鎮護する官寺として造営され、門の西にあった西門を西寺に対したと云う。

「空海」774-835 真言宗開祖 四国各地で修行後、入唐し、嵯峨帝と親交、高野山を賜る、道場として東寺を、庶民学校。
         延喜21年、弘法大師に、著書多く各地の足跡と伝説を残している。「四国遍路」は今でも。


小野道風ゆかりの柳                    石に蛙が刻まれているとか
    

823年空海(弘法大師)に勅賜、真言宗の根本道場となった。
825年講堂を建立、淳和天皇から「教王護国寺」の勅額を賜っている。

空海は、ここに五重塔など次々と           塔は、耐震構造に
    

空海は、五重塔、綜芸種智院など次々建てている、朝野の信仰を集めたが、空海没後荒廃している。


金堂には、薬師山尊・十二神将が                  空海の根本道場
  

1193年、「文覚」が朝廷より寺領として播磨国を賜り、鎌倉幕府の援助を受け復興させた。
後醍醐天皇も寺領を寄進している。

講堂、立体曼荼羅・国宝梵天像等が                  豊臣秀吉も寺領寄進
    

法会の再興させ、1240年「覚教」が空海の命日に「御影供」を行い、民衆へ大御信仰を広めた。
中世末堂字の焼失が続き再び衰退している。

百合文書約2万点が
  

1591年豊臣秀吉が寺領を寄進し、再建を見た。明治に入り、真言宗派の独立で「真言宗東寺派」の総本山となる。
1965年徳川家光が、五重塔、高さ約55mで国内の古塔で最高を寄進している。

寺宝は多く、密教美術の宝庫で、中世東寺百合文書2万点、国宝は、五重塔、金堂、蓮華門、五大明王像、両界曼荼羅、真言七祖像、海賦蒔絵袈裟箱、弘法大師筆(風信帳)など。

密教美術の宝庫                    多身は高野山心は東寺におさめをく
    

「東寺・観智院」は、東寺の塔頭寺院。
表門を入り、客殿に上ると最初の部屋が客殿、江戸初期の1605年に北政所(ねね)の寄進により再建されたもので、桃山時代の書院造りである。この書院の見所は床の間に描かれた「鷲の図」と襖絵の「竹林の図」。両方とも宮本武蔵筆といわれ、剣豪武蔵の心意気を感じさせる鋭い表現。客殿前の庭園を「五大の庭」と称し、空海が唐(中国)の長安から帰国の海上で難にあわれたときに、守護の海神に護られ無事帰国された様子を表現されているという。
五大とは、右の築山は唐の長安を表し、中央の踞石は、遣唐船と守護する竜神・神亀・鯱(しゃち)を表し、左の築山は日本(無事帰還)を表していることからで、築山に立つ五つの石は五大虚空蔵菩薩像を表しているという。

  

次回、世界遺産、西・東本願寺へ。