syuの日記・気まま旅

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大本山・東福寺

2013-05-14 | 気まま旅

駅を出て、京阪線とJR奈良線の踏切を渡るとすぐに京街道に出る。左へ曲がって次の角を右へ曲がる。老人ホームの横の緩い坂をしばらく上ると、突き当たりに光明院がある。

「東福寺」は、臨済宗東福寺派の本山で山号慧日山、本尊は、釈迦牟尼仏。
鎌倉時代中期に摂政関白の「九条道家」が円爾弁円を開山とし、九条家の氏寺にする為、創建された。

九条 道家(1193年 -1252年)は、鎌倉時代前期の公卿。摂政九条良経の長男。妻は太政大臣西園寺公経の娘。
鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の父。官位は従一位・准三宮・摂政・関白・左大臣。

父九条良経、 母一条能保の娘(源頼朝の姪)、 正室・西園寺綸子(西園寺公経の娘)、長男子九条教実(1211-1235年)


東山区本町                禅宗寺最古



「東福寺三門」

「三門」とは「空門・無相門・無作門」の三解脱門を省略した言い方です。

五間三戸、重層入母屋造、両脇に階上へのぼる山廊を設けた、日本最大最古の遺構で、国宝に指定されています。応永年間(1394-1428)、足利義持の再建で、1977年に大修理が完成しました。

正面縁の大額「妙雲閣」の筆は足利義持のものです。中世建築ではめずらしい一面の極彩画は、画聖兆殿司(明兆)およびその門人寒殿司の筆と伝えられています。

京都五山第四位の列している


「光明院」は、参道に入り右手最初にある、東福寺塔頭の一つの寺。
ここは観光を対象としていないので受付はない。入って一番左にある玄関から入り、靴を脱いで上がった板の間の左隅にある太い竹筒に志納金を納める形式。
枯池、苔、多数の石組みが配置された波心庭。どこから見てもいいように作庭されている。
ここを左へ曲がると突き当たりに見える大きな門は「東福寺の三門」。三門のすぐ後ろが本殿(仏殿)で、その左側に建てられているのが禅堂である。

本堂に入る前に、東福寺塔頭の寺を案内する。

永明院、光明院、正覚庵、願成寺、雪舟寺、一華院、同聚院、竜吟庵などが周りにある。

九条家の氏寺                奈良東大寺・興福寺の一字を取って「東福寺」に
    

「芬陀院・雪舟寺」は、東福寺の塔頭の一つ、本尊は阿弥陀如来。
鎌倉後期の 1321~24年に関白一条経通が父の菩提を弔うために定山祖禅和尚を請し創建。
以後、一条家の菩提所。火災により堂宇を焼失したが1691年、関白一条兼輝により再興。
禅式枯山水。山水画家の雪舟等楊作と伝えられる「鶴亀の庭」がある。
あたかも鶴の首のように見える。左が亀島で右が鶴島と思えるが実はその逆という。

この石組みには逸話がある。雪舟が備中の宝福院(東福寺の末寺)で過ごしていた少年時代、悪戯がすぎ納屋に入れられたとき、涙で鼠を描いたことはよく知られている。この宝福院から転住した雪舟は、ある時、寺の大壇徒で時の関白一条兼良から、亀を描くよう所望されたがすぐに描く気持ちになれず、日を過ごしていた。
ある日、他の弟子たちと一緒に庭の砂を整え、石を動かしている雪舟の姿があり、和尚は、いつもの庭の掃除と思い、そっと眺めていたところ次第に亀のような石組みができた。雪舟は筆でなく石組みで亀を描いたのである。その夜、和尚は庭で何かの物音がするのでそーっと障子の隙間から覗いてみると、石組みの亀が手足を動かす音だった。
気味悪くなった和尚は、雪舟を呼び、何とか処置をするように言ったところ、しぶしぶ亀の甲羅部分に大きな石を一つ置くと、亀は動かなく成ったと言う。
喜んだのは関白一条兼良。亀のように見せた優れた技を称賛され、雪舟のために一寺を与えんとされたが、雪舟は画の修業をしたいからと断ったという。早朝で見学できず。

応仁の乱などを乗り越えて伽藍を維持
    


「同聚院」は、 東福寺塔頭のひとつ、「じゅうまん不動 さん」とも呼ばれている。
法成寺無量寿院の九体阿弥陀 像と1005年 法性寺五大堂の本尊という同聚院不動明王坐像を造仏された。

「霊雲寺」は、東福寺の塔頭の一つ。1390年の創建、東福寺第百八世・岐陽方秀禅師により開かれた。
第七世・湘雪和尚は、肥後熊本の出身で、藩主・細川忠利と親交があり、その子光尚も帰依し、舟雪和尚が住職になるとき、遺愛石が寄贈されたという。
枯山水の庭は、戦後、重森三玲氏(庭園研究家)の手で復元され、遺愛石を置いた九山八海の庭と、臥雲の庭の二つがある。桃山様式という二階建て茶室観月亭から庭が観賞できる。文殊菩薩で知られている。

一条実経が41ヶ所の荘園を寄進             広大である
    


「一華院」は、東福寺 塔頭。「依稀松の 庭」をはじめ、抹茶が飲める。早朝で入れず。

広いためか静か
    


「東福寺の禅堂」は、1347年再建、別称、「僧堂」とか「選佛場」言われる座禅専修の道場。
中世期より現存する最大最古の禅堂で、桁行七間、梁間四間、単層、裳階(もこし)付切妻造。
掲げられている扁額「選佛場」は宋国径山万寿寺の無準師範の筆。
明治火災後、仮本堂とした改造がみられる。

さらに右へ折れる。しばらく歩くと臥雲橋。

25の塔頭がある
  

「東福寺」は、奈良の東大寺、興福寺より一字ずつ取り寺名としている。

東福寺の伽藍面と云われた
  


明治14年の大災で仏殿など失っている
    


1881年の火災で仏殿、法堂、方丈、庫裏を焼失している。現存する鎌倉・室町時代の建築物は、禅宗寺院最古もの。

開山堂をつなぐ通天橋の樹木は見事
    

重宝ー三門、無準師範画像、宋版「太平御覧」、宋刊本「義礎」など。
重文ー月下門、禅堂、仁王門、浴室、東司、本堂と開山堂をつなぐ通天橋は、紅葉の名所。釈迦三尊画像、五百羅漢図など多数。
竜吟庵、栗棘庵、など25の塔頭がある。

鎌倉・室町時代の建築物に触れられた
     

次回は、南区世界遺産「東寺」へ。