地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

「孝心不撓家内一和 家業相勵可申候」

2015-02-15 | Weblog

バ レンタインデーも過ぎて今日は2月15日・・・

昨日に続いて、またまた雪の朝を迎えました

高速道を走る車の音も雪でかき消されています

春はまだ遠い!

 

と ころで、2月4日の ブログ で触れたわが家の「お宝」・・・

江戸末期の天保7年(1836)に、先祖が藩主から頂いた書付のことです

↓ こんな文面でした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                 ○○村△△組

                  ■■■伜       

                      ◆◆        

                      當申弐拾歳      

                 其方儀両親へ孝行         (その方儀 両親へ孝行)

                 を尽し、且平日心掛        (を尽し、且(かつ) 平日 心掛け)

                 宜敷家内睦敷農業         (よろしく 家内睦まじく 農業)

                 出精いたし候趣相聞        (出精いたし候趣 相聞き)

                 奇特之事候、依之為      (奇特の事に候、これに依り)

                 御褒美鍬壱挺被成下       (御褒美に 鍬壱挺成し下され)

                 候間難有奉存、尚此上      (候あいだ ありがたく存じ奉り、尚此の上)

                 孝心不撓家内一和二       (孝心撓(たわ)めず 家内一和に)

                 家業相勵可申候          (家業相励み 申すべく候)

                     此時天保七壬申       

                     五月十日

                   堀内蔵守御代

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どんないきさつからか、どんな親孝行ぶりだったのかは分かりませんが、■■■(3代目)伜の◆◆(4代目)が20歳の時、藩主堀内蔵守からお褒めを頂いたものです

 

天 保7年(1836)の 須坂藩 主は、11代堀直格・・・

(天保7年は壬申じゃなくて丙申。壬申は誤り?)

水呑百姓に藩主からご褒美・・・なんてあるんですね~

父はこの書付を大切に受け継いできましたが、その中身を知らないままに亡くなりました

「誰かに見てもらいたい・・・」

そんな父の思いから、ワタクシメがある人に訳してもらったという次第 

「孝心不撓家内一和   家業相勵可申候」

・・・これはわが家の、大切にしたいお宝です  

 

須 坂藩は1万石ながら幕末の13代堀直虎は若年寄兼外国総奉行となり、佐幕の志篤い直虎は、慶応4年(1868)に将軍徳川慶喜に諌言して聞き入れられずに自刃・・・

その後藩は佐幕の方針を転換し、戊辰戦争では官軍として多くの藩士を送りだしています

須坂藩領であったかつての○○村△△組・・・ 

↓ 写真は明治中頃?の△△組消防団の記念写真

(赤矢印が6代目の先祖・・・)

まだどことなく江戸の気風が感じられます

○○村△△組の、小さなコミュニティです

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