城と歴史歩きを楽しむ

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三河・黒川城と熊谷家 詰城と居館をセットで見学

2020-10-13 | 歴史

黒川城と熊谷家は愛知県北設楽郡豊根村にあります。長野県との県境に近い山深い場所に熊谷氏が来住し築城したとされますが、来歴については二つの説が伝わります。
 今回の資料は (1)「史跡散策 愛知の城」山田柾之著1993  と (2)「愛知県中世城館跡調査報告3」です。
資料(1)によれば、一説では熊谷玄播が天正十一年信州平谷から来住して蟄居、築城したと伝承され、他説では
享禄三年 松平清康に宇利城を攻略された熊谷氏の子が豊根村兎鹿島に住み、天文年間(1532~55)に築城したと伝わるようです。兎鹿島の地名は{旧)兎鹿島温泉として 湯~らんどパルとよねに残ります。


黒川城と熊谷家 大入川と坂宇場川に囲まれた尾根の先端部に所在する。黒谷家は東側山下にある
  城地には宗教施設の社殿が造営され、周りを弘法巡りの参道が取り巻き、改変により往時の遺構は見当たりませんが、地形としての雰囲気は残っていました。兎鹿島温泉は参拝客の憩いの場所としてにぎわったことだと思います。
 ※旧地図を参考に旧道を想定して書き込みました。新道もトンネル道も無かったようです。


熊谷家 築300年の母屋  門や塀、土蔵なども見ることができる
 熊谷家は江戸時代に入って庄屋として存続し、この母屋も江戸期に建てられ国指定重要文化財に登録されています。戦国期の熊谷家の屋敷跡に建てられたとされますので、往時は黒川城は詰の城としての役割だったと思われます。


熊谷家と黒川城 黒川城は熊谷家の裏山に所在
 熊谷家が屋敷地で黒川城が詰の城だったとすると、城道が熊谷家の裏付近にあるのではないかと思い、捜しながら斜面を登りましたが、結局見つけることは出来ませんでした。ヒョットすると、城道は旧道側からだったかもしれませんね。


黒川城と熊谷家 城地は最高所①を含め3段の平場がある。周囲は弘法巡りの参道が取り巻く
 最高所の平場①の北側に平場②、平場③とひな壇状に削平地がありました。①を主郭として②、③が曲輪だったように見えましたが、宗教施設造営の改変があるため、資料(2)では「城館遺構は認められない」とされています。


黒川城 城地を取り巻く弘法巡りの参道 左上に城地
 ①②③の城地の平場の周囲には一段下がって弘法巡りの参道となっている帯曲輪状の地形がありました。古くからの参道ですので往時の姿を残しているかどうかわかりませんが、雰囲気はいいですね。


黒川城 ③の平場 社殿が造営され原形は不明
 城地尾根北端部の平場③には宗教施設の社殿の造営で遺構は改変されて、往時の姿を見ることは出来ませんでした。地形的には三の丸の曲輪ですね。


黒川城 ②の平場 奥上に最高所①
 ②の平場は綺麗に削平された更地でした。往時は二の曲輪として建物があったかもしれないと想像しました。


黒川城 最高所の平場① 主郭と言えそうな地形でかなり広い
 最高所の平場③も宗教施設造営による改変が見られ、城郭遺構の確認はできませんでしたが地形からすると主郭と言っても良い雰囲気の場所でした。

黒川城は三河山間部の山深い場所にありますが、西下には伊那谷と三河を結ぶ別所街道が通る重要な位置にありました。熊谷氏は戦に負けて来住したとされますが、この地で一定の勢力を保持し続けたのではないかと思いました。
 城郭遺構は明確ではありませんでしたが、熊谷家の重厚な佇まいと尾根上の城郭地形をセットで見学できて思ったよりも楽しめた見学でした。