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三河・雨山城 今川と織田の境目の城 城址と見学路が整備され案内板も立った

2021-07-16 | 歴史

雨山城は愛知県岡崎市雨山町にあります。所属する東海古城研究会の会員向け情報メールで、雨山城が地元の方の取り組みで城址と見学路が整備されたとの情報を頂き早速出掛けました。
 雨山城は以前にも見学しましたが、そのときはエィヤッ!と斜面を登り城址といわれるところへ出ましたが、樹木が生い茂り、遺構らしい地形は確認できませんでした。
 今回は、見学路が整備され、城址付近の樹木が切り払われ、城址碑が立ち、幟がはためいていました。地形もしっかり見えるようになったので、人の手が加わったと思われる地形があることが確認できました。
 雨山城は宮城谷昌光さんの歴史小説「風は山河より」の第三巻で「雨山の戦い」として取り上げられて広く知られるようになったのですが、織田氏と今川氏の境目の争いに巻き込まれて織田方の雨山・阿知波氏が奥平氏の援軍を得て菅沼軍と戦い双方に多くの犠牲者でたとされます。
 今回の資料は (1)「奥平氏と額田」額田町教育委員会発行2005年です。


雨山城と雨山合戦 菅沼軍は風越峠を越えてAルートで進軍。奥平軍はBルートで作手から援軍に駆けつけた。地元では風越峠というようですが風吹峠とも呼ばれます
 雨山城は東アチワにあったとされる阿知波氏の屋敷の北側の山上にありました。山上の城址は面積が狭く、居住性もありませんので、非常時の見張り台としての利用だったと思われます。東の風越峠から侵入する敵への監視は容易で、大声を出せば山下の屋敷に声が届きそうでした。
 雨山合戦の時には東アチワの東側の狭隘な谷に柵と木戸を設けて菅沼軍を迎え討ったと伝わります。


雨山城と雨山合戦 菅沼軍は柵を突破できず柵の手前で多くの戦死者が出た
 野田の菅沼定村と定貴、定満の三兄弟と重臣の近藤彦七は討ち取られ、その墓が祀られていました。阿知波軍の犠牲者も数十人だったとされ東アチワ地内に祀られた石塔が在りました。


雨山城と雨山合戦 野田城主・菅沼定村の墓は上部が新しい
 菅沼定村の墓の上部は、江戸時代に野田の人によって持ち去られ長らくそのままになっていたようですが、近年になって、新しく作られて今は写真のように新しい石塔になっていました。


雨山城と雨山合戦 雨山川の対岸にヒッソリ祀られる菅沼定貴・定満の墓と表示板
 地元の方々の整備のおかげで、場所の表示や説明板が設けられましたので、行き着くことが出来ました。
今は山林となった場所にポツンと祀られていますが随所に立てられた案内図を頼りにたどりつけました。


雨山城と雨山合戦 近藤彦七の墓付近の地形は屋敷地跡とも見える
 雨山川の南側にも屋敷地があったとされますが、このあたりの地形はそのようにも見えました。写真の奥に見える一段登る坂があり段の上が広い平場になっていました。


雨山城と雨山合戦 東アチワ東部、谷間の柵想像加筆
 雨山合戦の碑は雨山ダムの近くに建てられていますが、伝えられる柵と木戸はこのあたりに設けられてのではないかと想像して写真に付け加えてみました。
 右手に雨山川が流れ下っていますが、往時も歩いて渡れる程度の小川だったと思われます。阿知波氏の家臣の屋敷は西アチワや雨山川の南対岸にもあったようです。


雨山城 周囲に人の手が加わった様に見える地形もあるが山頂部は自然地形のようだ
 雨山城は、見張り台としての利用が目的だったように見え、人手が加えられたと見える場所も一部だけのようでした。北東尾根の見学路が所々で狭くなって土橋の様に見えるところがありました。


雨山城 以前訪れたときの山頂部は樹木が生い茂っていて、地形の細かなところはわからなかった
 これまでは、城址の位置は伝わっていましたが、具体的な遺構はほぼ無いとされてきました。


雨山城 整備された雨山城 樹木が伐採され城址碑が立てられ見晴らしも抜群になった
 地元の方のご尽力で整備が進み、樹木がきれいに伐採され、城址碑の石柱が建てられ、雨山城の幟が翻っていました。樹木の伐採のお陰で、見通しが復活し往時の見晴らしがよみがえったようでした。

雨山城 樹木がなくなった山頂部から風越峠が丸見え! 谷間に雨山ダムも見える
 樹木を伐採した山頂部は敵の侵入を見張る役割があったとして良い場所だと確認できました。


雨山城 人の手が加わった地形の可能性あり
 山頂部の南側には人の手が入った地形はなさそうに思いましたが、北東尾根には人工の地形らしきものが複数箇所ありました。


雨山城 見学路入口には石の道標などが立つ
 見学路入口には幟や表示版が設置され、見学路の途中にも随所に道標が新設されていました。専門家の調査も行われている模様で縄張図等も公表されるのが近いかもしれませんので期待したいと思います。
 ※駐車は付近の路肩を利用しました。 駐車は自己責任でお願いします。

雨山城の本来の城道は、以前にエィヤッ!と登った東アチワの集落の裏から通じていたのではないかと思いますが、今回の見学路が整備されたことで楽に城址見学ができるようになりました。
 周辺の案内板や案内図が設置され、これまでは見学する機会のなかった場所も見学することが出来てよかったです。

 


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