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遠江・曽我山砦 家康の掛川城包囲網の一つ。失われた地形を想定して見学すると興味深い

2021-07-12 | 歴史

曽我山砦は静岡県掛川市篠場(しのんば)、高御所にあります。永禄十一年(1568)掛川城に逃れた今川氏を攻めるために徳川家康が掛川城の周囲に築いた砦の一つで酒井雅楽助正親が入ったとされます。曽我山砦の遺構・城域は近年の工場用地の造成等により大きく改変を受けて原形がわかりにくくなってしまっています。
 今回は 資料 (1)『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会 1978  を参考として、旧地図や戦後の空中写真などを手がかりにして、曽我山砦の往時の姿の想定を試みてみたいと思います。


曽我山砦 掛川城から約4kmの距離があり、砦群の中で最も離れた位置にある
 酒井雅楽助正親は家康よりも20歳以上年上で、清康・広忠・家康の三代に仕えた武将なので、掛川城から離れた、長谷砦を間に挟んで安全な位置に布陣したのかもしれないと想像してみましたがどうでしょう。


曽我山砦 明治25年発行の旧地図 今昔マップ on the webより
 資料によれば「掘切を挟んで東曲輪と西曲輪から成っている」とされています。旧地図で見ると溜池の北東から東にかけて大きな山地形が在ったようです、これが東曲輪と関連があるかもしれません。
 溜池はいつから存在したのかは不明ですが、今も旧地図と同じ様に残っています。旧地図発行時点には、すでに東海道本線が通っていますね。


曽我山砦 昭和34年の空中写真 国土地理院WEBより
 昭和34年ころの空中写真を見ると、旧地図の山地形がほぼ残っているようですね。まだ東海道新幹線は見えていないようです。旧地図にもあるA地区の西側を通る間道(切通道)が見えています。この間道はいまも残っていました。


曽我山砦 最近の国土地理院Webでの空中写真 工場用地の造成で北東-東の山地がなくなっている
 東海道新幹線が通り、線路の両側が大規模な工場用地になって、大きく変わったのがわかります。


曽我山砦 旧地形を想定し、現在の国土地図に加筆
1.資料(1)に掲載されている曽我山砦の範囲はAの範囲です。
2.旧地図で山地形になっているのはBの範囲が中心で西尾根部分が一部Aにかかっています。⑤や⑥の山地形はいまも残っています。
3.B地区の範囲の地名に「高御所」があり、B地区には「上山古墳」があったようで、古くから山上に 旧地図で見るような開けた場所があったかもしれません。④に上山古墳之跡の石碑があります。
4.B地区の山上から掛川城を直接見ることはギリギリですが、長谷砦はよく見えたはずです。A地区からではB地区の山地形が邪魔をするので全く見えなかったと思われます。
5.資料では「掘切を挟んで」となっていますが掘切の位置が不明でした。A地区に切通道があり、掘切に見えますが、資料(1)の掘切が、これを指しているのかは疑問でした。
6.A地区とB地区の間に今は道があります。ただし旧地図では切通道へ迂回する溜池の縁を通る間道が描かれていますがA-Bの間に道は描かれていませんので、近年の道と思われます。
● 以上を考慮しながら想定してみると、東曲輪はB地区にあり山地形の山上に布陣した。掘切については「不明」で西曲輪がA地区で兵站部と考えましたがどうでしょう(あくまでmatsuの私見です)。

以下に付近の写真を掲載します。


曽我山砦  B地区を南から見る 左端にA地区の東端部の台地①が見える
 B地区は今は山が削られ平坦地となり工場が建っていますが往時は40mほどの高さの上部が平坦な山地が広がっていたと想定できそうです。


曽我山砦 B地区の西辺に立つ上山古墳之跡の石碑
 上山古墳の資料を見つけられませんでしたが、Bの山地にあったのではないかと想像しました。
写真左端にA地区の東端部①の台地が見えています。奥に伸びる道は近年の開発道と思われます。


曽我山砦 A地区の切通道 南から
 切通道は現在は使われていないようでしたが、近年まで通行していたのではないか想像しました。
道の左側は西尾根の低い先端部で墓地になっていました。右側はA地区の中心地①方向で台地状の耕作地になっていました。
 

曽我山砦 A地区の① 北西から 耕作放棄地で荒れていて踏み込めない
 「藪こぎも山城見学の楽しみの一つ」がモットーですが、ここまで荒れていると踏み込むのはチョット無理でした。西尾根を削平して台地上を耕作地として利用していたと思われます。


曽我山砦 A地区  北東から 中央の台地上が① 右手が③で削り取られている 
 写真左手の道は近年の開発と思われますが、ここにA-B間の掘切が在った可能性はないとは言えないようでした。西尾根を削り取った③は近年の開発で住宅が建っていました。


曽我山砦 溜池の堰堤からA地区を見る
 溜池はいつの時代から在ったのかは確認できませんでしたが、B地区から西に伸びた尾根が徐々に下がっているのが確認できました。

曽我山砦は、原形を想定しながらの見学でしたが、近年の開発の凄まじさを感じる見学でもありました。
 家康の掛川城攻めの砦群は何処も開発が進み、原形が保たれているところが少ないようですが、折を見て紹介していきたいと思います。


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