城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

伊勢・柿城 4km先の伊勢湾を見通せる段丘先端の城郭 公園化で中心部が残る

2021-08-02 | 歴史

柿城は三重県朝日町にあります。伊勢湾が入り込んでいた古い時代には城址の近くまで海が迫っていたと考えられ、伊勢湾までの4Kmは平坦な土地が続いていました。伊勢 神戸城主織田信孝の配下・沢木宗喜が城主と伝えられます。
 今回の資料は (1)現地案内板   (2)「三重の中世城館」三重県教育委員会1976   (3)「再発見 北伊勢国の城」伊藤徳也著2008  (4)「今昔マップ on the web」です。
 資料(1)、(2) 、(3)および(4) などを参考に現在の地図上に柿城の往時の姿の想定をしてみました。


柿城 (1)現地案内板(朝日町教育委員会) より  柿城跡周辺地形図を抜粋
 柿城は周囲の宅地開発によって、中心部を残して周辺の城郭遺構が失われていました。現地案内板に開発前の地形に城郭遺構を重ね合わせた図がありました。


柿城 現地案内板(朝日町教育委員会) より 桑名領古城図考・柿城  を抜粋し角度を加工
 現地案内板には絵図も掲載されていました、図の方位は多少ずれているようでしたので本丸を基点に概略現況に合わせて調整してあります(上が北です)。
 (1)と絵図を比較してみると、南側にもう一つ二つ曲輪が在ったように見えますが、早い時期に失われていた可能性がありそうでした。


柿城 「今昔マップ on the web」より1959~1960年と現在の地図に城址遺構想定図を重ね合わせる
 (1)の絵図などによれば城域は北側を堀で遮断し、西側は谷地形を堀として利用し南と東側は自然地形の急な斜面を切岸として利用していたようです。
 資料(2)、(3)には縄張り図が掲載されていますが西側は自然地形の谷だったようです(今は埋め立てられています)。


柿城 Ⅱ郭 案内板が立つ 見学路は公園化により新設
 (1)案内板の図によればこの平坦面がⅡ郭です。公園化で多少の改変はありそうで、大手道風の見学路が新設されていました。


柿城 主郭(Ⅰ郭) 南西隅の土壇 櫓台のように見える   北から 
 Ⅰ郭の周囲には土塁が部分的に残っていましたが、写真の土壇は他と比べてボリュームが圧倒的に大きく、単なる土塁ではなく面積もあるので櫓台が在ったのではないかと想像しました。


柿城 Ⅰ郭 東隅 残欠土塁と切岸   南から
 Ⅰ郭の土塁は全周を取り巻いていたかどうかは疑問ですが、一部が残っているようでした。東隅部にも残欠土塁が有りますが急角度の切岸が防御の要となっていたのが見どころでした。


柿城 Ⅰ郭 西辺の残欠土塁 奥に北辺土塁   
 絵図によればⅠ郭西辺下に帯曲輪が見えⅠ郭への道があったように見えますので、ヒョットすると土塁の開口部がこのあたりにあったかもしれないと想像しました。北辺は、この城郭の弱点と見えますので土塁の切れ目はなく北下の堀切と切岸をあわせて防御ラインとなっていたのではないでしょうか。


柿城 北西隅 西下から 途中に堀切状の地形が見える
 絵図に描かれた北側の堀切や西側の谷地形は規模が大きく後世には耕作地として利用されていたようなので写真の地形は堀切には該当しないように思いました。耕作地の農道の切通道を想像してみましたがどうでしょう。


柿城 Ⅲ郭 東から
 Ⅰ郭の南側 切岸下のⅢ郭は小規模でブッシュと雑木に覆われてやや不明確でした。


柿城 Ⅳ郭 削平面が明確で広い 東から
 雑木で視界が少し遮られますが、削平面は広く明確に確認できました。

Ⅴ郭、Ⅵ郭周辺は改変により遺構の確認は出来ませんでしたが、現地案内板などの資料を参考にしながら想像を交え全体の往時の姿を思い浮かべての見学ができ期待以上に楽しめてよかったです。

 


最新の画像もっと見る