月のたび

日々の日記

現在の仕事を通して、リア充になりつつある私

2013-09-28 14:05:26 | ひとこと言わせて!
仕事はないけど、忙しい。仕事が来たときの準備に忙しいし、やり終えた仕事の、問題点洗い出しを、自分なりに思いつくやり方でやっている。お金は足りない。だから、パソコン駆使して、マネー・レスで知恵を身につけている。

そうしていると、変なことを思い出すものだ。小学校のとき、机が隣同士なのがきっかけで仲良しになった女の子が、高校のときに再会すると、とてもキレイになっていて、なのに、その子はとても取り乱しぎみだった、のを何のきっかけも無く思い出し、それをよく考えてみるに、あの子は私のこと好きだったんだな、なんていう自分の勝手な妄想が混ざり合ったこと仕事中に考え始めた。

事実はどうなのか分からんけど、少しは気持ちの休まること考えなくちゃ、先の見えない自営業生活なんて、やってられないでしょ。たとえ独りよがりの妄想に過ぎなくても、それで現在の不安が消えて、これからも仕事を頑張るきっかけができれば、何でもOKだ。

思い出せば、私には幼馴染なんていなかったな。だから、その子は唯一の幼馴染といえる。小学校当時は、小学生なりに、その子はキレイだと思っていたけど、別にそれ以上の興味も無い仲良しのクラスメイト。それから、中学も同じだったけど、その子との思い出は全く無い。けど、高校のときに再会してみると、キレイになってたけど、私に対してとても恥ずかしそうだった、ということだけ覚えてる。

だから、その子は小学校の時みたいに、あるがまま接することが出来なくなったんだよ。

もし本当にそうだとしたなら、私には辛く苦しく惨めなこと多かったけど、あの子が陰でこんな私を応援してくれてたかも、と思うと、これまでの生きる苦しみみたいなのが、たったそれだけで報われてくるような気がする。そんなに楽しい思い出なんて、無かったけど、今になって、初めて救われたような気がする。

たとえば、現在の仕事で、一軒づつ家の敷地に入って、チラシをポストに入れる、というのは、中には不審がられたりもする。けれど、それはほんの一部であり、たいていの人は庭先で顔を合わせると、「ご苦労様です」とねぎらいの言葉をかけてくれる。その言葉のなんと有難いことか。どういう反応が返ってくるか分からんなかで、お客さんの絶対数が足りないこの私が、こうしてチラシを配って歩いてくれるのを、拒否したり、ましてや冷やかしたりなんて、とんでもない!反対に、立派に頑張って欲しいといわんばかりに励ましてくれる方々が多い。こういうとき、菊池寛の小説、『蘭学事始』の杉田玄白や『俊寛』の登場人物の切ない気持ちが良く分かる。菊池寛のそういう小説は、が鮮やかに描かれている。

こういう態度で接してくれるのは日本人の美徳のお陰のような気がしてならない。少なくとも、私の近所ではそうだ。

藤十郎の恋・恩讐の彼方に (新潮文庫)
菊池 寛
新潮社

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