また、酒屋仲間で有名な「灘の宮水」の発見は、天保年間(1830~1844)
のことであります。
それは、正宗のご本家といわれる桜正宗の初代山邑(やまむら)太左衛門に
よるものとされています。
同家の酒倉が魚崎と西宮にあったが、常に西宮の酒が良いので、これは杜氏
の腕の違いかと考えて、杜氏を交代させてみても結果は変わらない。
それでこれは水のせいではないかと気がついて、西宮の水を魚崎に運んで造って
みたところ、果たして良い酒が出来た。
そこでそれ以来西宮からわざわざ水を運んで仕込むものが増え、自ら西宮に
井戸を掘って、うまく掘り当てればその水代で、一年寝てくらせるほどのブーム
になった。即ち西宮の水というところから「宮水」といわれるようになったの
です。
のことであります。
それは、正宗のご本家といわれる桜正宗の初代山邑(やまむら)太左衛門に
よるものとされています。
同家の酒倉が魚崎と西宮にあったが、常に西宮の酒が良いので、これは杜氏
の腕の違いかと考えて、杜氏を交代させてみても結果は変わらない。
それでこれは水のせいではないかと気がついて、西宮の水を魚崎に運んで造って
みたところ、果たして良い酒が出来た。
そこでそれ以来西宮からわざわざ水を運んで仕込むものが増え、自ら西宮に
井戸を掘って、うまく掘り当てればその水代で、一年寝てくらせるほどのブーム
になった。即ち西宮の水というところから「宮水」といわれるようになったの
です。