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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ここを通るときは・・・。

2013-12-10 07:03:18 | 美術ノート
 

 横須賀美術館脇に設置されている若林奮の作品《Valleys》。

 ここを通るときに感じる震撼とした思い、どうしても息が止まり、呼吸が乱れるような不思議な感覚に襲われてしまう。
 何故かは分からない。静かなる慟哭とでもいうような震えである。


 美術館に向かうときの昇り勾配と海へ向かう下り勾配。人は垂直に立つしかないけれど、両脇から押し寄せてくるような(ずり落ちてくるような)閉塞と空へ向かって広がりを見せる開放を呈している左右の無機的な壁。ざらざらとした感触、不連続につなぎ合わされたボルトで留められた鉄板、しかし通り過ぎてしまえば、連続・統一の面持ちをもった涼しい側面に変化する。
 この揺れとも言うべき微妙な通路は、自由と束縛を併せ持った人生のようでもある。
 寄りかかるに足る勾配でもなく登るのに心地よい勾配でもない、自然の中に設置されているにもかかわらず、自然に融合しているとも言い難い。
 どこか自然を拒否しているような、自然と対極に在るような・・・言い換えれば、この作品自体が一つの世界観を持って自然に対峙している。(そんな気がする)

 ここには、自身との体面、対話がある。
 ここを通るときには、なぜか深くため息をついてしまうのである。

『ポラーノの広場』175。

2013-12-10 06:52:23 | 宮沢賢治
 みんなはパチパチ手を叩きました。テーモも首をまげて聞いてやらうといふやうにしました。
 楽隊がやりました。ミーロは歌ひだしました。

 手をはシュと読んで、主。
 叩きましたはコウと読んで、叩。
 首はシュと読んで、殊。
 楽隊はラク・タイと読んで、絡、他意。
 歌ひだしましたはカと読んで、化。

☆主な考えである殊(異なる)文(文章)の絡(つながり)は、他意の化(教え導くこと)である。

『城』1470。

2013-12-10 06:34:19 | カフカ覚書
なにせ、こういうことは、試してみるわけにはいかないでしょうから、証明をすることなんかできっこありませんわ」
 紳士は、しきりに相槌を打っていた。
「根本においては、わたしも、おなじ意見です。わたしの言いかたがすこしちがっていたのは、測量師さんにわかっていただきたいとおもったからだったのです。

 決して~ない/niemals→nie Mals/決して~ない、汚点。
 測量師/Landvermessen→Land vermessin/土地、~がないことに気付く。
 ein→Ahn/先祖。

☆少なくとも、決して汚点ではないということを試してみることを証明することはできません。
 大群(大勢の死んだ人たち)は熱心に肯いた。もちろんわたしもまた同じ意見です。先祖が少し違うのは、簡単に言うと、そうして起ったことが、測量師さん(土地を失ったことに気付いた人たち)に、理解できるようにしようと思ったことです。