続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

現象。

2014-03-31 06:15:42 | 日常
 わたしは、単に現象なのだ。

 現われるが消えるという宿命である。宇宙の時空に瞬時、有機物体として存在しているに過ぎない。どんなに抵抗を試みても、ただそれきりの微塵はやがて虚しい風になり消えていく。

 悲観的に気分をブルーに染めているのでもなく、廻りくる春の感傷に浸っているのでもない。わたしという存在に誇示はなく、ただあるがままに、飾らない情熱を持ってわたしの時間を燃焼していきたいと思うだけである。


 叔母の49日の法要の報せを受け、彼女の99年間の時間に想いを馳せる時、ふと浮かんだ現象という認識。
 全てを現象という物理的変化で語ってしまえば、意味の介在はなくなってしまう。確かにそれは原理かもしれないけれど、この俗世において邪気の乱入を免れることは不可能であり、天の審判に委ねるべく不条理の中を生き抜かなくてはならない。
 現象に責務はないが、人生には果たすべき約束がある。

 人間は物理的現象に過ぎないかもしれないが、精神的遺産をつなげていく者でもある。積み重ね進化していく機構や文化にもまして、戦争などの負の累積にも責務がある。平和で豊かな未来への約束を放棄してはならないのだから。

 現象でくくれば全ての罪は消えるが、愛ある未来を夢想することはできない。

《わたしたちは、単なる現象ではない》

『ポラーノの広場』283。

2014-03-31 06:07:51 | 宮沢賢治
  一、植物標本褪色調査の件

 一はイツと読んで、逸。
 植物はショク・ブツと読んで、蝕、仏。
 標本はヒョウ・ホンと読んで、表、奔。
 褪色はタイ・シキと読んで、他意、私記。
 調査はチョウ・サと読んで、重、詐。
 件はケンと読んで、兼。

☆逸(かくれた)蝕(天体が隠れる)に、仏が表れる。
 奔(思うまま)の他意である私記が重なる詐(作り事)を兼ねている。

『城』1579。

2014-03-31 05:56:47 | カフカ覚書
「いったい、きみはなにをして暮らしているんだ。わけがわからなくなったよ」と言って、Kは自分の額をたたいた。
「クラムの仕事は、ほかのどんな仕事よりも優先するのじゃないのか。

 額/stirn→stern/星。

☆「しかしながら、きみという人は理解しがたいよ」と、Kは言って自分の(運命の)星をのろった。
 「クラム(氏族)のことはすべてのことよりも本題なのではないか。

バードウオッチング。

2014-03-30 06:49:26 | 博物館講座
 YRP野比駅からバスに乗り、光の丘5で集合。

 まず水辺で、マガモ・カルガモを観察。
「三浦半島は海に囲まれているので、鳶(トビ)を日常的によく見かけますが、他の地域ではそんなことはありません」(そういえばアメリカから来た研究者が、珍しがって空ばかり見上げていたという話を以前聞いている)
 
「あれはイソシギの鳴き声ですね」「あれはキジの鳴き声です」「ホトトギスも啼いていますね」
 声はすれども姿は見えず、当方丸っきりの無知ゆえ、ただ呆然と(フンフン)と分かった振りで後ろからのそのそ付いて行くばかり。
 わたしのような不届きな者を連れて歩く先生方がむしろお気の毒なので目立たないように後ろの方を歩き、折角の解説も遠く聞えたり聞こえなかったりという不真面目さ。ぺちゃくちゃおしゃべりをしていたら、「鳥の声が聞こえません」と叱責を受ける始末、重ね重ね申し訳なくひたすら恐縮。

 でも、何でも参加するものだな、と思う光景にも出会った!人家の庭先にいたコゲラ、何と車のガラスに写った自分の姿を何回も攻撃、突っついている。鳥ながら、(おかしいな、おかしいな、あのものは何者ぞ)と、嘴でガラスに写った自分を突っついている。至近にかなり多くの人の眼が集中しているのに我を忘れての行為。ばっちりカメラに収めたわたし、にっこり。

 メジロ、ムクドリ、スズメ、ハシボソガラス、ハクセキレイなどお馴染みの鳥はもちろん、キセキレイ、アオジも確認できたしツグミも長く観察できて、やっと、バードウオッチングの入り口に立てた気分。

 稲森先生、萩原先生、ありがとうございました。

*昨日「去年は3月中旬には目撃したツバメをすでに下旬なのにまだ見ません」といったら「もう来ていますよ、米が浜あたりでは飛んでいます」と言われた。ところが今朝、聞えました。あの懐かしいツバメのさえずり、心和んで戸を開けたら外は雨・・・春雨が春の嵐になりませんように!

『ポラーノの広場』282。

2014-03-30 06:37:52 | 宮沢賢治
  一、ヤークシャ山頂火山弾運搬費用見積の件

 一はイツと読んで、逸。
 山頂はサン・チョウと読んで、Sun(太陽)、聴。
 火山弾はカ・ザン・ダンと読んで、化、Sun、談。
 運搬はウン・ハンと読んで、薀、半。
 費用はヒ・ヨウと読んで、秘、要。
 見積はゲン・セキと読んで、現、析。
 件はケンと読んで、験。


☆逸(隠れている)太陽に聴(注意深く聞く)。
 化(形、性質を変えて別のものになる)の太陽の談(はなし)は薀(奥義)である。
 半(二つに分けた一方)には秘(秘密)の要が現われる。
 析(わけて)験(調べる)。

『城』1578。

2014-03-30 06:22:18 | カフカ覚書
「なんだと!」と、Kは叫んだ。「あのことをまだ伝えてなかったのか。あくる日に城へ行ったのじゃなかったのか」
「ええ、なにしろ、うちの父親は、年をとっておりましてね。これは、あなたもごらんくださったとおもいますが、それに、あいにくあのときは仕事がたくさんあって、父親の手つだいをやらなくちゃならなかったのです。でも、近いうちにまた城へ行くつもりをしていますから」


☆「どうして!」と、Kは叫んだ。、まだ十分ではなかったのか。「小舟の集会は終末へむかったのではなかったのか」「ええ」「過去の宿命でしてね、あなたもごらんになったとおもいますが、死の現場不在証明という噂がありまして、それを手つだう必然があったのです。まもなく先祖の汚点により再び終末へ行くことになるでしょう」

地味ブログ。

2014-03-29 06:50:32 | 日常
 地味ブログである。誰かに読んでもらうためというより、自分の覚えのために書いている。息子や妹たちが読んでいるらしいことが頭を掠めるけれど、極力振り払い忘れるように努めている。名前を出しているのは、カフカ作品などにおいて非礼のないことを刻むためであり、言葉への自重を命じているからである。

 どなたかが読んで下さるということへの期待は薄く、むしろ隠れるような気持で書いていると言った方が当たっているかもしれない。

『カフカや賢治の本当の精神』、その熱情への敬意、ひたすらその一心で書いている。


 昨日例の四人会で、「ではそろそろ・・・」と席を立ったところ背後から、
「ハマダセツコさんですか」と声を掛けられた。突然逮捕されたような衝撃(何にも悪いことしていないけど)。
 見ず知らずの若い女性・・・(どなた?)
「ブログで・・・」(エエッー!!)

 動転してしまったけれど、こちらも少しお話を伺いたい気持もあって再び席へ。
 四十代の黒髪の女性、「夫も読んでいます」と。
「宮沢賢治の『春と修羅』がきっかけで・・・宮沢賢治という人は凄い人ですね』と、作家への信奉を語った。建築の教鞭をとっている由、そのうち彼女自身の近況などにも話は及び、会話は途切れることなく続いた。

(いい加減な人間であるのに、ひどく真面目に受け答えしているわたしの緊張)そのうち(「ぶっちゃけ、馬鹿なんですよ、」などと告白するわけにもいかず)しどろもどろ・・・。
 几帳面な文字で名前と電話番号住所などを書いて下さり、右左に別れた春の夕暮れ。
(至近エリアに読んで下さる方がいらしたというショッキングな事実)重く受け止めざるをえなかった。

 Oさん、昨日はありがとうございました。嬉しかったです。

『ポラーノの広場』281。

2014-03-29 06:36:52 | 宮沢賢治
  一、北極熊剥製方をテラキ標本製作所に照会の件

 一はイツと読んで、逸。
 北極熊はキタ・キョク・ユウと読んで、北、曲、幽。
 剥製方はハク・セイ・ホウと読んで、魄、正、法。
 標本はヒョウ・ホンと読んで、評、奔。
 製作所はセイ・サ・ショと読んで、生、査、諸。
 照会はショウ・カイと読んで、償、改。
 件はケンと読んで、検。

☆逸(隠れている)北(逃げる)曲(正しくない)幽(死者の世界)の魄(たましい)は、正しい法(真理)で評(可否を公平に裁く)。
 奔(おもうまま)の生(人生)を査(しらべる)、諸(もろもろ)償い改めるように、検(取り調べる)。

『城』1577。

2014-03-29 06:25:31 | カフカ覚書
「あなた」と、バルナバスは、首をやさしげにかしげた。Kはそのしぐさにほだされて、あやうくバルナバスの言うことを信じそうになった。「わたくは、そのことを間違いなく伝えましょう。それから、このあいだ言いつかったことも、たしかにお伝えしましょう」


☆「大群(大勢の死んだ人々)」とバルナバス(北極星)は言った。先祖が偽りに屈服する傾向がある。Kはそのことに惑わされてあやうくバルナバス(北極星の化身)の言うことを信じそうになった。「わたしはそのことを十分確実に伝え、死のあちら(本当の死)へと、命じられたことを確かにお伝えしましょう。

美術館巡り。

2014-03-28 06:47:39 | 美術ノート
 生涯学習センター主宰の「美術館巡り」に参加。
 ポーラ美術館などとても一人では行かれないと思っていたらの企画、すぐに申し込んだ。あいにくの曇天、霧が深くて眺望への期待は薄かったものの、ルノアールの彩色の妙、ボナール、マチスなどに改めて感動。
 成川美術館では平松礼二の煌びやかな作品を堪能、豪華と言えばこの上ない絢爛。「現在金は一グラム四千五百円です。画伯の場合、大作において二キロの使用を聞いております。とすると・・・(キュウ、九百万円!!)・・・顔料の多くは宝石でお馴染みの原石を砕いたものです。ですから・・・」学芸員は巧みな話術を駆使しての沸かせる解説。会場を巡り終えると再び同様の説明が聞えてきた、笑いとどよめきに盛り上がるツアー客へのサービスは日に何回も繰り返されているようだった。


 ところでわたしが最も魅かれたのは、「毛利武彦の世界」と題された一連の作品群。
 日本画という分類は、画材による分別らしい。したがって描く世界に決定的な差異は無いはずにもかかわらず、日本画の世界というと・・・という観念的な思い込みを抱きやすい。
 毛利武彦の目指した世界観は従来の日本画という範疇を越えたものがあり、その独創性は震撼とさせる空気を醸し出していた。
 煌びやかさを打ち消す厳しさ、リアルでありながら、「これは心象だ」と、つぶやいてしまう空気の密度の濃さ。一歩踏み外せば死を免れないような崖上の突先に立たされたような緊迫感がある。恐怖と換言してもいいかもしれない。静寂・弧高、遠くのほうで微かな声がする、雑多な神経をもってしては聞き取ることの出来ない不思議な声がする。

《雑念を振り払って、作品の前に立ち、その声を聞きたい》そういう作品群である。


 藤田修先生の仕事(版画家)のお話、美術史の解説なども交えてのバスツアー。職員さんの気配りに支えられての一日、思いがけない出会いもあったりして、楽しく過ごさせていただきました。ありがとうございました。