続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

松村正直(私的解釈)あなたとは。

2022-04-09 06:09:24 | 松村正直

  あなたとは遠くの場所を指す言葉ゆうぐれ赤い鳥居を渡る

  あなたとは遠くの場所を指す言葉・・・山の彼方の空遠く幸い住むと人のいう、何処と指定不可な《あるらしい》想像上の場所である。
 有るらしいけど、無いかもしれず、漠然と在ると仮定し信じている場所である。

 ゆうぐれ赤い鳥居・・・一日の終わりを告げる淋しくも美しい夕暮れの景。夕暮れの赤さに重なる赤い鳥居には異世界へと誘う不思議な魔力がある。
 鳥居は神様の世界と人間世界を分ける境界であれば、その鳥居(境界)を渡るということは人間から神様の世界に移行するということである。

 渡っていくのはあなた、貴方が彼方へとゆうぐれ赤い鳥居を渡っていく・・・。

 惜別の歌、慟哭の歌、哀歌である。


松村正直(私的解釈)フリーター。

2022-04-08 06:36:21 | 松村正直

 フリーターですと答えてしばらくの間相手の反応を見る

 フリーターですと答えて・・・相手がわたくしを問うたのである。みずからフリーターを名乗った訳ではない。

 フリーター・・・大抵は定職を得るまでの短期間の従事であることが多いが、やむなく長期間というケースもまま無いとは言えない。フリーターの最大の特色は、いつでも辞める自由があることで、人生を縛られるような拘束感が無いことである。ただ、生活の保障が欠如していることは不安をあおり、人生設計に於いての基盤に影を落としかねない事情がある。

 定職の安定、パワハラの横行で自殺にまで追いつめられることが有るという勤務における人間関係では《フリーター》の自由は眩しいかもしれない。また、障害や高齢という条件を鑑みるとき《フリーター》の気軽さは羨望をきたす。また、経営の破綻、借金地獄など世間のありようは凡庸ではない。
 あらゆるケースがあり、複雑な状況の中で《フリーター》は微妙な位置関係にある。フリーターの微妙さは「あなたは何者か」と聞いてきた相手の立ち位置により大きく異なるのではないか。優越の測りがたい眼差しは本能的なものであり、卑劣な感情は沈黙の中に隠される。

 この微妙な空気感、動かない空気が静かに激動する《しばらくの間》は、この歌において見事に浮上している。


松村正直(私的解釈)それ以上。

2022-04-07 06:59:21 | 松村正直

 それ以上言わない人とそれ以上聞かない僕に静かに雪は

 それ以上言わない・・・話は尽きているかもしれないし、核心は秘めたままということかもしれない。
 それ以上聞かない僕・・・話を追及したいかもしれないし、以心伝心、承知しているのかもしれないし、聞けないのかもしれない。

 要するに会話はそこで終了し、沈黙の空気感が二人の間に流れたということである。話の内容は判らないが、《濃密な無》を感じさせる空白である。

 過去の残酷な痛手の告白かもしれない。それ以上言えず、それ以上聞くに堪えない予感だったかもしれない。あるいは恋人同士の愛の告白、決定的な言葉を言い出しかねた幸福な余韻だったかもしれない。あるいは・・・別れの・・・。

 空白には総てを当てはめることが可能である。
 見えない、伝わらない虚無の豊かさは、語ることと聞くことの間を膨張させも収縮させもする魔の時間である。

 静かに雪は・・・二人の間をあたかも遮るような雪は、物語のような景色に変えてゆき、一枚の絵を見るようである。


松村正直(私的解釈)悪くない。

2022-04-05 07:38:47 | 松村正直

 悪くない置き忘れたらそれきりのビニール傘とぼくの関係

 悪くない、悪いを否定、よくもない。極めて曖昧で不明な時空感が漂っている。見えないが、意識がそれを浮上させている。

 置き忘れたらそれきりのビニール傘・・・放置された傘は僕とは無関係である。ビニール傘とぼくには所有の接点がない。しかし、心が動くことで、あたかも善悪の秤が微妙に動く。
 ぼくには罪がなく、見ないで通り過ぎることは可能である。しかし、あの傘を見た小さな痛みはすでに生じてしまっている。

 放置された傘の哀しみ? そんなものがあるだろうか。僕はそれを見たに過ぎない。ビニール傘と僕の距離はやがて遠ざかって行き、置き去りにされた傘の行方は知る由もない。

 幾千と関わってきた風景のなかの接点は、近づきつつ遠のき永遠に忘れ去られてしまう。
《悪くない》、あらゆる事柄は行きずりのまま自分を肯定しつつ遠のいていくのかもしれない。切れ切れの現象である雲のように。


松村正直(私的解釈)抜かれても。

2022-04-03 06:04:31 | 松村正直

 抜かれても雲は車を追いかけない雲には雲のやり方がある

 心象風景である。
(抜かれても雲は車を追いかけない)地上からの視点、ごく低い位置からの眺めである。
 雲は地上何千メートルの上空にでき、雲に視点を置けば車は極小、視界に入らないほどである。
 このアンバランスで理不尽な対比は(抜かれても)という自身の心境が支点である。ならば、わたくしは雲として悠々泰然、生き方を自然の律に倣おうという《車の律》への反感に違いない。反感は否定ではなく、大いなる肯定であり、自身への気づきでもある。

「自身の眼目は、現象としての宇宙真理に委ねるやり方を探求するつもりである」という宣言である。


松村正直「私的解釈」この先は。

2022-03-30 16:00:56 | 松村正直

 この先は小さな舟に乗りかえてわたしひとりでゆく秋の川

 この先は小さな舟に乗りかえて・・・川には船着き場があるが、小さな舟に乗り換えるような場はない。大きな船から小さな舟に乗りかえるのは《港》である。
 川は必ず港(海)に向かい、辿り着く。

 そこ(港)で小さな舟に乗りかえて《わたしひとりでゆく》としたら、川の流れをさかのぼるという意味を隠している。逆行であり、川の源、山に向かうという決意である。

 困難を極める、普通では考えられない行為、むしろ、不可に限りなく近い。

 秋の川・・・淋しいか、否、絢爛とした紅葉の景色の中、わたしはわたしの生き方を問う試練を乗り越えて新しい発見、自分自身に臨む覚悟である。
 わたしひとりでゆく秋の川・・・猛烈なエネルギーを孕んだ自己表明の歌に違いない。