続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

行方不明。

2013-08-31 06:40:58 | 日常
 人が明らかな原因もなく、姿を消す・・・即ち行方不明となった人をあらゆる手段を持って捜索する。

 あまりにも惨い結果が報告されたときの家族の哀しみは推し量る術もない。どうして、なぜ?
 見えない犯人への憎しみ憤り、言葉にならない憤怒。


 突然姿を消す・・・警察も三日間ほど捜索に費やした。
 Aさんはどこへ行ったのだろう。
 ホテルのコックとして働いていた40才になろうかという男の不在は、周囲を驚愕とさせた。部屋には義足、服用していた薬、財布が残されたままだったという不審な蒸発。
「義足や病院の薬を置いて行くなんて考えられないだろう」と義兄。
 義兄の嫁さんの弟の事件である。

「借金取りに殺されたのかもしれない」義姉は言った。借金取りに脅されていたとも聞いた。(それにしても・・・)

 海からも陸(山)からもどこにもそれらしき形跡は見つからない・・・三十年近く経った今でも。
 義姉は心痛もあってか、それから間もなく他界。

 報道されない行方不明者・・・事件化しない事件。

「結婚おめでとう」Aさんは夫に向かって言った。「ぼくもね・・・」
 人のよさそうなAさんのにこやかな顔が今でも目に浮かぶ。

 今もって謎である。

『ポラーノの広場』75。

2013-08-31 06:21:20 | 宮沢賢治
「お母さんはいまどこにゐるの。」わたくしはこの前のことを思ひだしながらそっとたづねました。
「居ない。」ファゼーロはかなしさうに云ひました。
「この前きみは姉さんがデステゥパーゴのとこへ行くかもしれないって云ったねえ。」
「うん、姉さんは行きたくないんだよ。だけど旦那が行けって云ふんだ。」
「テーモがない。」


☆簿(ノート)の全ての詞(言葉)に意(考え)を運/めぐらせている。
 然り、詞(言葉)の交(変る)考えを運/めぐらせている。
 死を考える談(話)を納め、幸(さいわい)を運/めぐらせている。

『城』1380。

2013-08-31 05:52:15 | カフカ覚書
「存じていますわ。だからこそ、こんな話を申しあげたんです。でなければ、こんな話をしても、あなたにとってはなんの意味もないでしょう」
「わかったよ。つまり、きみの言う意味は、そんな心底を見せない娘のこころをなびかせたことをぼくは誇りにおもってよいということだね」

 何も~でない/kein→kahn/小舟(Kain/カイン)
 娘/Madchen→Marchen/作り話。

☆「知っています」だからこそ話したのです。でなければこんな話をしてもーけれど、あなたにとって小舟は意味があるのです」
「理解している、あなたの考えでは先祖の打ち解けない作り話は尊大ということだね」

自然の摂理。

2013-08-30 07:18:54 | 日常
 夏の植物に翳りが見えはじめている。
 あんなに逞しく咲き誇っていた向日葵も頭をかしげ、葉の色を失くしている。

 猛暑つづきの暑い夏も朝晩は多少の涼風を感じるようになって、今朝などは(寒さ)で目を覚ましたほどである。

 あっという間の時の推移・・・。


 わたしの身体も劣化の症状が露になり、補うべき精神も静かに悲鳴をあげている。《当たり前のこと》理の当然には容赦がない。

 為すべき対処はあるのか。メンテナンスにも自然の摂理を超える手段はあり得ない。ならば、受け入れざるを得ないと覚悟を決める。自然流とは風情のある言葉である。
 杖をつき、わが身の安定を図る。力を分散させないと存在さえ危うい状況は差し迫っている。

 そういう新しい形、新しい生き方を模索していく。

 かっての恩師佐々木先生は、ステッキをヒョイと抱え持って歩いていたけれど、本当に杖が必要になってからは、なぜか空手・・・おしゃれ心で持っていたけれど、持つことに限界を感じられたのだと思われる。
 奥様がまだお勤めだった頃は、箒と叩きを手にし、姉さん頭で掃除をなさっていた先生。老いて尚美しく在ろうとなさった心意気、生徒はしっかり受け継いでいきたいと思います。

 自然の摂理を静かに風のように受け止めて、《これから》を新しく生きて行くつもり。

『ポラーノの広場』74。

2013-08-30 06:43:38 | 宮沢賢治
「うん、ふくろふにさ。それはね、僕もっと小さいとき、それはもうこんなに小さいときなんだ、野原に出たらう。すると遠くで誰だか食べた、誰だか食べた、といふものがあったんだ。それがふくろふだったのよ。僕ばかな小さいときだから、ずんずん行ったんだ。そして林の中へはひってみちがわからなくなって泣いた。それからいつでもお母さんさう云ったんだ。」


☆睦(仲むつまじい)笑いの夜に現われると推しはかられる。
 縁(つながり)を推しはかり続ける、推しはかることの自記である。
 朴(ありのまま)の章(文章)は、倫(人の行うべき道)を重んじる。
 それを求める簿(ノート)には薀(奥義)がある。

『城』1379。

2013-08-30 06:00:19 | カフカ覚書
あのひとのたったひとりの友だちは、おそらく<橋屋>の年寄りのお内儀さんくらいのものでしょう。これは、いかにもフリーダらしいことですわ」
「フリーダは、ぼくの許婚者だよ」と、Kは言ったが、眼は、ドアにある覗き穴をさがしていた。

 たったひとり/einzige→Ahn zig/先祖、多くの。
 友だち/Freundin→fremd/よそ者。
 橋屋/Brukkengasthaus→Bruch Gast haus/(契約)違反、死去、天の宮。
 ドア/Tur→tour/企て、もくろみ。
 許婚者/Braut→Blaue/青空。
 穴/Loch・・・ブラックホール。

☆先祖の多くがよそ者というのは恐らく昔からの天の宮の(契約)違反の言葉でしょう。
「フリーダ(平和)は、わたしの青空だよ」と、Kは言い、企てのあるブラックホールのあるところをさがしていた。

岸恵子さんの美しさ。

2013-08-29 06:48:13 | 日常
 夕方、TVに映っていたのは岸恵子さん。先頃本を出版したという。四年を掛けたその作品は70代の女性の恋愛(性愛)を描いたものらしく、覚悟して望んだという。
「仮に100歳になったときに、(ああ、70代はまだまだ若かったのだ)と悔やんでも始まらない。」と仰る彼女の美しいこと!

 もうずいぶん前、『約束』という映画を観たことがある。年下のショーケン(萩原健一)との束の間の恋。過去ある中年女が年下の男の情熱に動かされる。保護司に付き添われた列車内の彼女が、若い男の衝動的な情熱に閉じた心を揺さぶられる。けれど再開の約束は、男の軽率粗野な行動(万引き)で、果たされることはなかったというお話。

 時はあれから更に四十年近く経っている・・・。

 それでもなお凛と美しく前を見据えた岸恵子さんには尊敬と憧憬の念に駆られる。

 そういえば、サークル仲間のKさんは今年70歳になったというけれど、おしゃれに余念がなく美しく在ることを常に心がけている。(この人なら、恋も似合いそうだな)と思う。


 近ごろでは顔も洗わなくなったわたし(ざぶざぶっと濯ぐだけ)、岸恵子さんを見てシャキッと反省(?)
 自分の好きなことばかりしていると、偏った偏屈な年の取り方をするかもしれない。

 作家の森瑤子さんは早くに亡くなられたけど、今も存命であれば同じ傾向のステキな本を書かれていたに違いない。やっぱり、生きて在ることにはそれなりの意味がある。深くて熱い何かが・・・。

『ポラーノの広場』73。

2013-08-29 06:33:53 | 宮沢賢治
「ぼくは小さいときはいつでもいまごろ、野原へ遊びに出た。」ファゼーロが云ひました。
「さうかねぇ、」
「するとお母さんが行っておいで、ふくろふにだまされないやうにおしって云ふんだ。」
「何て云ふって。」
「お母さんがね、行っておいで、袋ふにはだまされないやうにおしって云ふんだよ。」
「ふくろふに?」


☆照(あまねく光があたる=平等)である夜が現われる幽(死者の世界)を推しはかる。
 薀(奥義)は模(似せて作る)講(はなし)を化(形、性質を変えて別のものになる)で運/めぐらせ、簿(ノート)に考えを運/めぐらせている。

『城』1378。

2013-08-29 06:05:27 | カフカ覚書
わたしは、このお店にもう数年間もあのひとといっしょに勤め、いつもおなじベッドでふたりで眠っていたのですけれど、どうしても親しくできないんです。きっとわたしのことなっか忘れてしまっているでしょう。

 年/jahre→jah/突然の、不意の。
 勤め/diene→Deng/存在、事情。
 数(年間)/einige→einig/一致した、同意見の。b
 ベッド/Bett→wett/(或人とは)貸し借りなしである、縁が切れている。

☆わたしは今ここで確かに同じに見える事情で、先祖とは縁が切れているのですが、心の中を打ち明けることはありません。わたしのことなんか忘れてしまったんでしょう。

街の変貌。

2013-08-28 06:41:36 | 日常
 街の様相は移り変わっていく、それと知らぬ間に大きく景色を変えている。

(ああ、あのさいか屋が・・・)
 子供の頃、「エレベーターに乗りにいこうか」などと言って近所の子とトンネルを越えて出かけたことがある。向こうが見えるほどのトンネルを潜るとそこはもう繁華街。
 さいか屋は憧れの詰まった手の届かない商品が並ぶ近代的なビル、わたしはただそれを眺め、恐々エレベーターに乗ったりした。従兄弟たちと行って迷子になり呼び出してもらったこともある。

 デパートとは縁のない低所得者暮らし・・・特売、バーゲンのチラシに踊らされて無用なものを買い込む程度のお付き合い。

 それでも横須賀の象徴たるさいか屋本館が消えたことは衝撃である。
 取り壊され、大量の廃棄物が運び出された空き地・・・。


 ぽっかり穴の空いたような空間・・・昨日行ってみると、駐車場?

 十年後には12パーセントの人口減を見込まれるという横須賀の(これが現状なのか)と、しんみり。
 十年後には三人に一人が老人になるという日本・・・。

 老いてなお、老いに甘える時代は来ない。
 わたしたちはそれぞれ、「これから」を胸に秘め、大いなる課題としなければならない。

 変貌して行くのは街ばかりではない、そこに住むわたしたちの生き方にも関わるのだから。