続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

感謝。

2014-12-31 06:38:34 | 日常
 静かな年の瀬を迎えられることに感謝している。
 長いことわたしを悩ませた酒飲みの父は、大晦日ともなれば枕元に並べた一升瓶の酒を呑み始める。毎晩酔っ払っていたけど、大晦日は特に怖ろしく、迎える正月の暴挙を思うと胸が暗く打ち塞がってしまう。自分のお酒がなくなればお年始と称して親戚縁者の家を廻り呑んだくれて帰ってくる。帰ってくればいいほうで電話で呼び出され、わたしが迎えに行ったことも度々。
 暗い夜道を「お父さん、大丈夫?しっかりしてよ」なんて言いながら歩く・・・。
 ある日などは、初売りを覗いて帰宅すると、幼い息子が「警察から電話があって、今救急センターにいるって」と言ったこともある。

 生涯、治らなかったアルコール依存・・・。暮れと正月の寒々とした恐怖は何とも言い難く、今は思い出になったことを心から感謝して、もう他には何も要らないと思えるほどである。


 平穏無事・・・他に望むことは何もない。わたしは何を望むだろうか? 父を思えば、すべては霧消して行く。
 父の愚痴を言うと、父親の顔を見たことのない夫から「何を言う」と叱られる。思えば二人とも可哀想な者同志だと気づいて苦笑してしまう。


 昨日はそんな父母のお墓参りも済ませた。
 ただ何もないことの幸福に感謝している。

『まなづるとダァリヤ』19。

2014-12-31 06:15:35 | 宮沢賢治
 星はめぐり、金星の終りの歌で、そらはすっかり銀色になり、夜があけました。日光は今朝はかゞやく琥珀の波です。


☆衝(重要な所)の混じる章(文章)を修(整える)。
 化(形、性質を変えて別のものになる)を吟じる私記也。
 講(話)は混ぜてある。
 重なる個(一つ一つ)に迫り、破(やりぬく)。

『城』1837。

2014-12-31 06:06:29 | カフカ覚書
後日なにか必要になることもあるかもしれない。そのときは、きみにお願いしよう。きみの住所はわかっているからね。そのかわり、ひょっとしたらこちらからちょっぴり助けてあげられることがありそうだ。きみのお母さんが病気がちで、あきらかに当地にはその病気を治すことのできる者がいないことはなんともお気の毒でならない。


☆後の先祖の汚点を用いることはあるかもしれない。その時ひっくり返るだろう。上奏文(国王に対して申しあげる)だからね。そのかわり、ひょっとしたら先祖の此の汚点を助けてあげることができるかもしれない。ハンス(国)の母なるものの苦しみを明らかに理解できる者は誰もいない。

夢。

2014-12-30 05:49:20 | 日常
 近ごろ良く夢を見る、気持ちが不安定なのだろうか。そうして、すぐに忘れてしまい思い出すことは難しく(あれは何だったんだろう)という虚無感だけが拭いきれずに残ってしまう。
 夢なんだから、現実ではないんだからと、関係を否定する。(でも、あの感じは何だったのだろう)と自問する。


 昨夜、記憶喪失の人をTVで見たけれど、あんな風に記憶というものは抜け落ちるものなのかと愕然とした。記憶の連鎖の中にも凹凸があり、隠れて見えない過去というものは確かに存在しているに違いない。けれど、自分を忘れるという暴挙には普通は至らない。打ち消しがたく常に自分であり続け自分であるより選択の余地のない自分であるからである。けれど希に何かの衝撃で記憶をつかさどる機能が欠落してしまうという物理的現象があるのかもしれない。

 就寝中見る夢というものは大抵切迫している。トイレに行きたいという生理的現象もあるかもしれないけれど、深層心理に潜む危惧のようなものが、眠っている脳を刺激するのではないか・・・笑って目が覚めるということもなくもない能天気なわたしではあるけれど。
 不思議である。場所(空間)のなかで、対象と向き合う自分はいるのに相手は曖昧なままであることが多い。夢の話を書いておくためには枕元にメモ帳を用意する必要があるかもしれない。時間と共に薄れていく夢には手掛かりになるような痕跡が全くないのだから。にもかかわらず、書いてみようとするには大変なエネルギーと脳の疲弊を覚悟しなければならないという報告もある。
 

 夢という非現実もまた、自分の中の現実である。
(どうか、いい夢を見られますように)と、願う。夢という非現実の中でゆっくり遊べたら・・・浅き夢みし人生だもの。

『まなづるとダァリヤ』18。

2014-12-30 05:38:13 | 宮沢賢治
「まなづるは、向ふのほのじろい霧の中に落ちて行きながらまた声ひくく白いダァリヤへ声をかけて行きました。
「今晩は。ご機嫌いかゞですか。」


☆講(はなし)の謀(計画)の注(意味を明らかにする)。
 絡(つなぐ)講(はなし)の章(文章)を吐く(言う)。
 照(あまねく光があたる=平等)の考えが混じっていて、番(かわるがわる)記(書いたもの)に現れる。

『城』1836。

2014-12-30 05:25:33 | カフカ覚書
ーKは、ちょっと思案してからつぎのように答えた。いまは、助けを必要としない。必要なものは、なんでもそろっている。しかし、力をかしてやろうと言ってくれるのは、非情にうれしい。きみの親切心にたいしてお礼を言っておきたい。


☆Kは、少し考えてから言った。小舟で助ける風習はすべて必要であるという予言者を愛している。ハンス(国)が助けようと言ってくれる和解の意図に感謝している。

年の暮れ。

2014-12-29 06:03:27 | 日常
 暮れていく・・・年の終わりは不思議にそんな感じがする。終息・・・収束だろうか。全てに区切りをつけ31日の夜には白紙に戻して除夜の鐘を聞く。もちろんそんなに事がうまく運ぶ筈もなく、やりきれなかったことには蓋をし、目を瞑る。

 正しい年の暮れの過ごし方と言うものがあるのだろうか。家中を清掃しお金の出し入れを清算し、お正月に備えてご馳走をこしらえる・・・無事に年を越せることを神さまに感謝し、新しい年をお迎えする。
 仮に何もしなくても、新しい年は誰のところにも並べてやってくる。実証済みのわたし・・・取り立てて何をするでもなく年の瀬を過ごしている。
 何となく年の暮れらしく、いかにもという風に、埃を払っている。
 友人に「大掃除はするの?」と聞いたら、
「もちろんよ、常々忙しくしていて、家の事にまで手が廻らない生活をしているから」と、当然といった顔で答えてくれた。

 大掃除ムードに煽られてそれらしい恰好をするけれど、老眼鏡をかけてびっくり!(こんな所にも埃、ではあんな所にも・・・)ため息。


 妹が貧しい暮らしの姉を心配して昨年同様どこぞの御節を取り寄せてくれるとの一報が入っている。切ないようなありがたいような・・・出来の悪い姉である。

 年の暮れ、一陣の風に吹かれて孤独を装って立っているわたし。来年はどんな年になるのかな・・・しっかり歩けるわたしでありたい。
 お墓参りと年越しそば・・・まだまだ忘れてはいけない用事も残っている。

『まなづるとダァリヤ』17。

2014-12-29 05:51:41 | 宮沢賢治
 いちめんのきら星の下を、もじゃもじゃのまなづるがあわたゞしく飛んで過ぎました。
「まなづるさん。あたしかなり光ってゐない?」
「ずいぶん光ってゐますね。」

 星はショウと読んで、章。
 下はゲと読んで、解。
 飛んではヒと読んで、秘。
 過ぎましたはカと読んで、化。
 光ってはコウと読んで、考。
 光ってはコウと読んで、講。


☆章(文章)を解(部分部分にわけ)秘(人に見せないように隠した)化(形、性質をかえて別のものにする)の考えの講(はなし)である。

『城』1835。

2014-12-29 05:42:50 | カフカ覚書
ところが、学校であなたを見つけたものですから、母に報告できるように、あなたに話かけなくてはならないとおもったのです。と言いますのは、母ははっきり命令しなくても自分の願いごとをかなえてもらえるのが大好きなんです。


☆ただ罪過を見出したものですから、母に報告できるようにあなたに呼びかけなくてはならないと思ったのです。母は厳然たる命令がなくとも望みを叶えることができる最愛の人なのです。

多忙な息子。

2014-12-28 06:27:25 | 日常
「会社は26日までだ」といい「車を取りに帰るから」と夜の10時過ぎに帰ってきた。
(ああ、これでしばらくは休めるのね)

 独身で家にいた頃は休日ともなれば昼近くまで寝ていた息子、それがそうもいかない家族の一員となって、それなりに役割を果たしているらしい。(ようは何時までも惰眠を貪れない)
 だから、せめて実家にいる今朝だけは好きなだけ寝かせてあげたい親心。時計を睨んで、9時、10時、11時、12時に近くなった時、戸が開いた。
「よく休めた?」
「うん、こっちは相模原にくらべると暖かいよ」という。(こっち方面に家を求めればよかったものを、何で・・・と愚痴がでる。事情はあったものの勤務先は横浜!)
「食事にする?」「まだ起きたばかりだよ」「そうね、じゃコーヒーでも」
「そうだ、今日午後から洗濯機が届くんだった」
「えっ、何時に?」
「3時って言ってたな」「3時って・・・」「うん、1時に出れば十分間に合うだろう」
 すでに12時15分・・・慌てて食事の仕度。
「お正月はゆっくり休んでね」と言ったら「いや、明日明後日はまだ仕事に出るんだ」(・・・明日は日曜日だよ)先週の日曜日にも大阪へ出張だったし・・・。
「で、翌日の30日には菊川へ行くよ」というので、わたしが「子供が破いた障子は?留守の間に張っておいたほうがいいんじゃないの」と聞くと、
「そうだよなぁ、以前張っている傍から子供が踏んじゃって・・・」

 お産には立ち会うようだし、何だかちょっとの間もないような息子・・・痩せたね・・太る間がないね。

 それでなくとも毎晩12時1時という生活らしい。聞いていると胸が詰まってしまう。

《身体には十分気をつけてね。お母さんたちは何とかやっているから心配は要らない。何とかやらねば、多忙な息子たちに迷惑はかけられない・・・お互い楽しく笑って過ごしましょう》