続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

五日間の充実。

2014-08-31 08:21:35 | 清一朗
 次男からの電話で「息子に熱があり、保育園を休まなくてはならない。だから・・・」と言うわけで、やってきた孫たち。

 息子夫婦は仕事なので、二人の孫の面倒に明け暮れた。二人は飛び跳ねて遊び、疲れ知らず。こちらは洗濯掃除、三度の食事に追われつつも「おばあちゃん、おばあちゃん」の声に「ハイ、ハイ」と従えば、もう夜はくたくた、疲労困憊。

 それでも孫を見ていられる満足感に浸り、幸福な日常とはこういうものかもしれないと自分に言い聞かせてみる。カフカや賢治を読む時間はもちろん微塵もないけれど、むしろこれが人間として当たり前の生活なのだと思い直す。
 老人二人の気ままで自由な時間は非日常的にさえ思えてくる。この時間を当然だと享受してはいけないのかもしれない。

 ブログを書いているのではなく、書かせて頂いている。自由な時間を特別に与えられていることへの感謝に気づかされた。
 息子一家の滞在、来年には三人目の誕生を控えている。わたしの拙文より未来を支える子供たちとの関わりかたの方が重要な意味があるに違いない。
 快く、気持ちよく、新しい家族のお手伝いができることを、真直ぐに受け止めたい。
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ちょこっと読書(村上春樹)④

2014-08-31 06:45:32 | 現代小説
『中国行きのスロウ・ボート』
 スロウ・ボート(貨物船)・・・船は貸しきり、二人きり・・・(古い唄)のイントロ。

 最初の中国人に出会ったのはいつのことだったろう?
 この文章は、そのような、いわば考古学的疑問から出発する。

 おや、この人は何が言いたいのだろう?という不可思議な疑問からこの文章(作品)を読み始める。読み終えた後に、考古学的疑問の意味が判明する構図に気づくという円環の物語である。端的に言えば、日本人も中国人もアジア民族であり、DNAを辿るまでもなく同胞である。Same.Sameであるのに、なぜ奇妙な違和感があるのだろう。戦争のもたらした亀裂、国という組織の中の茫漠とした意識が見えない壁を作っているのかもしれない。

 三人の登場人物はそれぞれ僕と同じ感想を抱いている。正義・博愛・平等を小学生に噛み砕いて教える教師は「わたくしはこの小学校に勤める中国人の教師です」と言い、二人目の女子学生は、彼女は自分が中国人だといった。そして三人目は高校時代時代のクラスメートであり、後日(二十八才)喫茶店で声を掛けられるが、どうしても思い出せない。しかし「中国人専門なんだよ」「同胞のよしみというやつで・・・」という言葉から彼に対する記憶が甦る。

 三人とも本人の発言がなければ、中国人であるという認識は生じないほど、まるで違和感がない。
 教師は床に引きずるように軽いびっこをひき、杖をついている。(四十歳未満に見えたが戦争に起因する支障かもしれない)
「顔をあげて胸をはりなさい、そして誇りを持ちなさい」と試験場として仮にやってきた日本人生徒たちに教える。これは中国人生徒たちにも共通に教えている《人としての生きる姿勢》に違いない。
 女子学生は、僕のとんでもない失敗(逆回りの山手線に乗せてしまった)に「気にしなくてもいいのよ。こんなのこれが最初じゃないし、きっと最後でもないんだもの」と言う。しかし彼女の瞳からは涙が二粒あふれ、コートの膝に音を立ててこぼれた。
 二粒の涙が音を立てることはないと思うが、それを見た僕の衝撃の大きさである。
「そもそもここは私の居るべき場所じゃないのよ。ここは私のための場所じゃないのよ」と言う彼女の手を取り、僕の膝のうえに乗せた。この失敗、この立ち位置(状況)をうまく説明できないでいるうちに分かれた僕は二つ目の誤謬に気づく。連絡先を書いた紙マッチを捨ててしまい再び会う手段を失ってしまったのである。
 三人目のクラスメートは、中国人であるゆえか、中国人相手の販売業で生計を立てているらしい。育ちも悪くないし成績も僕より上だったにも拘らずである・・・。語りべの僕も借金を抱えている身であるが。

 条理なのか、不条理なのか・・・まるで同じにしか感じられない人が背負う国というエリアの意味。
 誤謬こそが僕自身であり、あなた自身であるならば、どこにも出口はない。
 緑なす草原を想いながら、空白の水平線にいつか姿を現わすかもしれない中国行きのスロウ・ボートを待とう。もしそれが本当にかなうものなら何も恐れずにささやかな誇りを持ってそれを待とう。

 誤謬、曖昧さ、喪失と崩壊に揺れる心情の不確かさ。見えない罅、亀裂。
 世界は一つのはず、僕は東京と言う街の中で中国を夢想し、一つの暫定としての中国を放浪する。
(しかし)

 友よ、中国はあまりに遠い。

 村上春樹はごく平易な言葉で、ひどく難しい曖昧さを解こうとしている。だから読後は、その揺れているような感覚に酔ってしまっている自分の出口が見つからない。
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『ポラーノの広場』435。

2014-08-31 06:31:20 | 宮沢賢治
「ぼくはね、あっちで技師の助手をしたんだ。するとその人が何でも教へてくれた。薬もみんな教へてくれた。ぼくはもう革のことならなめすことでも色を着けることでもなんでもできるよ。」


☆擬(なぞらえる/似せる)詞(ことば)の諸(もろもろ)は図りごとであり、化(形、性質を変えて別のものになる)で供(のべる)。
 訳(ある言語を他の言語に言い換える)と協(あわせて)較(くらべ)識(考える)記である。
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『城』1722。

2014-08-31 06:22:37 | カフカ覚書
 これだけ言っても効果がないとわかると、教師は、教壇のところへ行って、女教師と相談をはじめた。女教師は警察がどうのこうのといったが、教師のほうは、それに賛成しなかった。


☆しかしながら、この小舟の効果は空虚な監禁であり、空虚な中身(現実)の脆弱な仕度だった。空虚の中身(現実)は北極星がどうのこうのといったが、空虚はそれに同意しなかった。
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年配者の金銭感覚。

2014-08-26 06:45:16 | 日常
 午前九時も過ぎると、バスの中は年配者が多く席を占めるようになる。その会話を何気なく聞いていると、楽しいような淋しいような漠然として取り止めがなく、時には相手には無関係に自分だけが走り出した会話の汽車で遠くに行ってしまうこともある。
 しかし、そんなことはお互い心得ていて「まあまあ、アハハハ」と和やかにつながっていくのは年の功かもしれない。

 要するに、どうでもいいのである。どうでもいいことを話して呼吸している、そんな感じがする。

「広告見て、特売品を買いあさったってさぁ、結局棚の上。食べもしないし使いもしない。」
「ほんとうだよね、おじいさんと二人でじゃ何買ってきたって余るばっかしさ。」
「わたしなんか独りだろ、それこそ買ってきて腐るのを待つだけなんだけどさ、どういうわけか、安いと買っちゃうんだよね。習慣とは恐ろしいよ」
「まったくねぇ」と二人で肯きあっている。

「わたくし、ケチをしないで少し高級なものを買うことにいたしましたの」なんて言っているご婦人もいたので、どんな高級品かと思ったら、六千円の日焼け止めクリームとのこと。
「でも、健康のために通っているプールで、『あなた、顔を洗ってきなさいよ』って注意されるほど白いのよ。もちろん二度も洗ってプールに入ったのに・・・。高級品の日焼け止めって、要するに汗をかいても落ちない強いものだったらしいわ」


 そういえば近所の年配者は「毎日面白い話をしてくれる仮店舗での商いの人(怪しい商売/わたしの見解)から、毎日悪いなあと思って化粧水を買ったわ」と言ったので、
「いくらで?」と、わたし。
「・・・う~ん、ちょっと言えないんだけど、三万円」
「えっ、三万円もしたの?」
「うん、だからさ、三本ばかり買ったんだよ」
「・・・」
 この場合、だからって言うのかどうか知らないけど、ご主人が亡くなったときの税金が三億円だった人の告白。三万円はちょっと恥ずかしい金額だったのかな。

 無い人はそれなりに、有る人もそれなりに、年配者はお金の使い方が雑になってくる。(このお金、どうすればいいの)とまではいかないにしても、くれぐれもオレオレ詐欺などに引っかからないように要注意だと思う。
(ちなみにわたしは、死ぬまでにこれで収支が合うかギリギリの選択に苦慮しているレベル。せめてこれ以上の転落人生だけは免れたい)
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『ポラーノの広場』434。

2014-08-26 06:36:38 | 宮沢賢治
「さうか。ほんたうにそれはよかったなあ。ぼくはまたきみがああの酢酸工場の釜の中へでも入れられて蒸し焼きにされたかと思ったんだ。」


☆朔(月と太陽が同一方向にある状態、月は一日中見えない)の太陽の講(はなし)である。
 二つの注(文章の意味を書き記す)新しい状(かたち)の章(文章)の試みである。

*カフカも賢治も朔(特に皆既日食)のあの黒い環が、生死の入り口だと考えている。(ある意味一般的な傾向かもしれないが、それを伏せて書いている)
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『城』1721。

2014-08-26 06:19:31 | カフカ覚書
「なぜいまそんなことをもちだすのですか」
「言いたいから言ったまでのことだね」と、教師は高飛車に言った。「これを最後にもう一度言うが、出ていきたまえ!」


☆「なぜいま言及するのですか」
「言いたいから言ったまでのこと」と、空虚は言い、「再びの地獄・究極の汚点は、出ていきたまえ!」
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老いの見聞録。

2014-08-25 07:01:02 | 日常
 誕生した以上は必ず一人残らず「死」を迎える。この例に背いた者は未だかって聞いたことがない。

 賢治流にポッと点いて消えてしまう現象だと捉えればいいのかもしれない。けれど事はそう簡単にはいかず、悩んだり、迷ったり、覚悟したり、あらゆる試練を強いられる。
 老人は日向ぼっこなどして呑気に居眠りでもしているように見える。見えた、と言った方がいいかもしれない。いざ自分が老人のエリアに仲間入りしてみると、静かにも雄雄しく闘っているのだということが分かる。

 いずれ迎える死というものは、突発的な事故は別として大抵はあちこち綻び病んでいくプロセスを通過しなければならない。昨日まで歩けても今日は転倒のために支障を来すなど、不意を襲われるというケースは稀ではない。
 不意の襲撃、突然の宣告を恐怖して待っている。
(そんなに長くはないだろう)という時間の切迫は、人を緊張させる。やり直し、修正の余裕はないように錯覚する。
(何をやっても間に合わない)という落胆。

 
「まあ、気楽に考えましょう。やれるまでやる!それしかないもの」と言ったら、
「そうよねぇ、お金を持ってあの世に逝かれるわけじゃなし、使うことにしたわ。歩けないと思ったらタクシーに乗る。たかが千円程度で迷うことなんかないわ。近頃はね、バスなんて待ってられないから、そうすることにしたの」と、先輩女史。
「でもね、あまりにも近いところはタクシー呼べないわね」と、わたし。
「そうなの、だから杖を付いて足を引きずってコンビニへ行くの」と、彼女。

 情けない会話を情熱的に語る、真にこもった切実な吐露。
「八十四歳ですもの」と、笑った傍らを、九十四歳のKAさんが足早に通り過ぎていった。

 人間最後の勝者は・・・あぁ。
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『ポラーノの広場』433。

2014-08-25 06:47:33 | 宮沢賢治
「僕どうしてもうちへはひれなかったんだ。そしてうちを通り越してもっと歩いていった。すると夜が明けた。ぼくが困って座ってゐると革を買ふ人が通ってその車に僕を乗せてたべものをくれた。それからぼくはだんだん仕事も手伝ってたうとうセンダードへ行ったんだ。」


☆二つを閲(たしかめ)部(分けた)講(はなし)也。
 冥(死後の世界)を混ぜ、座(星の集まり)を覚(感知する)
 その媒(なかだち)を忍ばせ、二つを写しだしている。
 詞(ことば)で弐(二つ)の趣(志す所)を伝える講(はなし)である。
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『城』1720。

2014-08-25 06:28:14 | カフカ覚書
「じゃ、わたしの言うことにしたがわないのだね」
 Kは、頭を横にふった。教師は、
「よく考えてごらんなさい。あなたの決心がいつだって最善のものだとは言えないんだよ。たとえば、尋問を拒否なさったきのうの午後のことを思いだしてみてもわかることです」


☆「じゃ、わたしの言うことに従わないのだね」空虚は訊ねた。Kは中心人物に身震いした。
「よく考えてごらんなさい」と言い、あなたの決心が常に最善とはかぎらないでしょう。たとえば尋問を拒絶した昨日(過去)の手段である小舟を思いだしても分かるでしょう。
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