続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

D『パリの空気 50㏄』

2021-08-27 06:57:44 | 国木田独歩

   『パリの空気 50㏄』
 レディ・メイド:ガラス製アンプル、高さ13.5㎝、円周20.5セン㎝

 この中に、パリの空気50㏄が入っているという。ズバリ判定できる基準は存在しない。
 不確定、絶対に確証の証明を出し得ないものである。そうかもしれないが、そうでないかもしれず、というより《パリの空気》なんてものがあったろうか。気流は巡っているし、第一見えない。
「言葉と物」、確定できない物に対する大雑把な命名は置換が可能である。パリでもアフリカでも日本でも自在であって、それを否定できる論拠を見いだせない。

『パリの空気 50㏄』は秀逸なセンスをもって把握不可能なものを把握し得た感があり、センス・・・物理界と精神界の境界を覗いた作品である。


若林奮『振動尺試作 小Ⅱ~Ⅷ』

2021-05-24 06:38:10 | 国木田独歩

   振動尺試作  小Ⅱ~Ⅷ

 振動尺とは何だろう。振動波には形はない、空間を伝わる、あるいは押すエネルギーは目に見えない、在るが無いものである。

 それを形状に置換する。無謀な試みであるが、結論のプロセスには仮定は必須条件である。
 けれど誰も見たことのない振動尺、振動には確かに波の高下があるが、尺という単位に言及はない。
 物質には元素という明確な最小要素があるが、見えない空気感の最小単位は精神界の領域であって物理の領域に還元できないのではないか。
 それを敢えて《こんなもの》だと差し出す。誰も否定できず、促されるまま肯定を余儀なくされる問題作である。

 振動尺という言葉自体耳慣れないが、それには質量があると提示される。奇妙な違和感はその質量に対する疑惑である。不思議な感覚・・・作品を目の前にして、作品との距離を感じる。

 振動尺の異種、それぞれの差異、振動(空気)への厳密な眼差し。質量に置換した驚異、決定はなく試作であるという提示を受け止めざるを得ない。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『飯島春子』(私的解釈)葛の花。

2021-02-07 06:32:44 | 国木田独歩

   葛の花こぼれやすくて親匿され

 葛の花は、零れやすくてまるでじゃれつかれているようである、そして葉の裏などは白いので、裏見草とも…。
 葛の花はカツ・カと読んで、恰、禍。
 こぼれやすくて(零易)はレイ・イと読んで、霊、異。
 親匿はシントクと読んで、神、徳。
☆括(あたかも)、禍(不幸、災難)は霊異(人間の知力の及ばないほど神秘的で不思議なこと)であり、神徳(神の威徳)である。

 葛の花はカツ・カと読んで、喝、過。
 こぼれやすくて(零易)はレイ・イと読んで、戻、為。
 親匿はシン・トクと読んで、審、督。
☆喝(大声で叱る)過(あやまち)戻(道理に背く)為(行い)である。
 審(つまびらか)にして、督(取り締まる)。

 葛の花はカツ・カと読んで、闊、嘉。
 こぼれやすくて(零易)はレイ・イと読んで、礼、偉。
 親匿はシン・トクと読んで、信、徳。
☆闊(心が広く)嘉(優れて)おり)、礼(人が守るべき正しい行い)がある。
 偉(立派な)信(偽りがない/まこと)には徳(品性)がある。


『城』3446。

2020-06-25 06:27:15 | 国木田独歩

そして、いつも人口の光と重苦しい空気のなかにいてーこの家のなかは、たえず暖房がしてありますのーほんとうにいつも疲れはてています。週に一度の午後の休みは、調理場の押入れかどこかで静かにのんびり眠ってすごすのがいちばんの楽しみというありさまです。


☆いつも作為的な光とかび臭い空気の中にいて、絶えず暑くて常に疲れています。番人は中央に向かって自由であり、不安のない静かな眠り(死)を、がらくたなどで塞ぎ、時間を費やしています。


『忘れえぬ人々』159.了

2020-06-02 06:37:25 | 国木田独歩

机の上には二年前秋山に示した原稿と同じの「忘れ得ぬ人々」が置いてあって、その最後に書き加えてあったのは「亀屋の主人」であった。
「秋山」では無かった。


☆鬼(死者)の章(文章)は、字の念(思い)である。
 全て終(死)に算(見当をつけた)字の現わす講(話)は、道(神仏の教え)に導くためである。
 匿(隠したもの)を認(見分けること)が腎(要)である。
 質(内容)は済(救い)の語で諸(もろもろ)化(教え導く)記也。
 衆(人々)が尽きるという終(死)は、散(自由気ままな)夢(夢想)である。


『忘れえぬ人々』158.

2020-06-01 06:42:25 | 国木田独歩

 ちょうど、大津が溝口に泊まったときの時候であったが、雨の降る晩のこと、大津は独り机に向かって瞑想に沈んでいた。


☆他意の真の講(話)の考えを吐く。
 字には弐(二つ)の考えが有り、巧みに番(組み合わせる)。
 他意は新しく読む記である。
 講(話)は、冥(死者の世界)が総てで、珍しい。


『忘れえぬ人々』157.

2020-05-29 06:41:40 | 国木田独歩

 その後二年経過った。
 大津は故あって東北の或地方に住っていた。溝口の旅宿で初めて偶った秋山との交際は全く絶えた。


☆他意の真は個(一つ一つ)を問う事が目(ねらい/観点)である。
 惑(正常の判断が出来ずに迷うとき)は、次を法(てだて)のして応じる。
 交ざっている講(話)に慮(思いを巡らせる)。
 宿(前世から)の署(わりあて)の宮(神を祭る場所)に終(死)の算(見当をつける)。
 講(話)は済(救い)、然(その通り)の舌(言葉)である。


『忘れえぬ人々』156.

2020-05-28 06:33:10 | 国木田独歩

「僕はどうにかしてこの題目で僕の思う存分に書いてみたいと思うている。僕は天下かならず同感の士あることと信ずる。


☆目(ねらい/観点)を転(ひっくり返すこと)で化(教え導くこと)を筆(文字に書く)。
 道(神仏の教え)に換(入れ替える)詞(言葉)で審(正しいかどうかを明らかにする)。


『忘れえぬ人々』155.

2020-05-27 06:33:12 | 国木田独歩

「僕はその時ほど心の平穏を感ずることはない、その時ほど自由を感ずることはない、その時ほど名利競争の俗念消えて総ての物に対する同情の念の深い時はない。

☆目(観点)は弐(二つ)の芯(中心)が表(表に出ること)である。
 音を換(入れ替える)。
 字には弐(二つ)が融(とけている)。
 換(入れ替えた)字には冥(死者の世界)の理(道理)がある。
 供(述べた)総てが然(そのとおり)の章(文章)である。
 双(ふたつ)を打ち、他意を道(語る)。
 常に捻(捻った)新しいことを示している。