続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

勝者。

2012-10-31 06:35:50 | 日常
 隣家のKさんのご主人、「アサリを取ってきたから」と店売りパックの5倍ぐらいの量を下さった。
 今朝、床がびっしょり濡れている。何かと思ったらアサリが噴いた塩水、見ていると物凄い勢い・・・。
 こんなにたくさん申し訳ないと恐縮。蜆を冷凍しているけど、アサリも冷凍していいのかな・・。

 Kさんは働き者である。朝は3時に起床して、わたしが目を覚ます頃には、すでに車は姿を消している。
「一番に行かないと駐車スペースが無いから」という。
 それにしても朝の3時過ぎは早過ぎ。休みの日には知人の畑仕事を手伝ったりするらしく、大根のおろぬき菜や筍を分けてもらう。(何でもする)という感じだけど、年齢はわたしより上のはず、羨ましいほどの元気である。
 そのまた奥さんが、旦那さんを上回るような働き者、朝は早くから洗濯物をきちんと干しているし、週5日のバイトも「わたしは店では最高齢」と言いながら疲れを見せない。
 K家では娘さんたちが始終やってきては孫を預けたり、休日は一家で手足を伸ばしている感じ。
「どうしても言うこと聞いちゃうのよ」と奥さん。遊びに来た娘さんのお使いまでしている。


《身体を動かすことを厭わない》こんなに素晴らしいことはない。つくづくそう思う。

 わたしなんかは家の中にいて、一日中、同じ場所で一歩も動かないことが多い。(これじゃ、歩けなくなるのも火を見るより確か・・・)


 若々しく元気に歩いている年配者はそれだけで《勝者》である。

『城』1080。

2012-10-31 05:59:03 | カフカ覚書
なるほどね。万事がそういうことだとすると、わたしは、城によい友人をたくさんもっているということになりますね。よく考えれば、もう何年もまえに例の課が、ひとつ測量師を呼んでみようじゃないかと思いついたのも、わたしにたいする友情の行為だったわけです。

 よい/guter→Gut/土地。
 友人/Freund→Fremd/よその土地。
 思いつき/enifall→Ahn fall/先祖、死。
 akt→acht/追放。

☆ほどね。すべての拘禁がそうだとすると、わたしは終末(ほんとうの死、死界)にたくさんの土地、よその土地をもっていることになります。よく考えるならその痕(傷痕)は、何年も前の先祖の死、例の区分けで測量師(土地を失ったことに気づいた人)を呼んでみようとしたのもわたしの親戚(氏族)の追放だったわけです。

不得手な計算。

2012-10-30 06:28:02 | 日常
 計算というものが苦手である。したがって家計簿もつけていないし、財布に入れたお金がなくなっても(そんなもんかな)という感じで、あれが幾らでなどとは計算しない(というか出来ない)。倹約の精神があればそれ以上の事はないし・・・という曖昧なやりくりで今日まで来ている。

 昨日のブログで、40才の折り返し点からすでに15年と書いても疑問すら持たなかったわたし。今朝読み返して、40の倍は80だけど、80から65を引くと15。15+15=30・・・(40に足りない、おかしいなぁ)と考え込んでしまった。(笑)
 うーん・・。
 わかった!40才からすでに25年経っているんだわ。(と、やっと気づいた)


 そんな風である。

(そんなわたし、満点というものを二回だけとったことがある。計算は出来なかったけど、応用問題は得意だったので、難解とされればされるほど沸き立つような興奮をもって解いたのかもしれない。応用、証明問題のたった二回の100点である。)


 でも結局、計算の方が大事だったのではないか。
 計算や計画性の欠如した性格・・・ミスだったのか正解だったのか、未だに答えを出しかねているわたしの人生。
 

『城』1079。

2012-10-30 06:03:46 | カフカ覚書
こうした発言には、すべて職務上の意味はありません。それに職務上の意味づけなどなさると、迷路にはいりこんでしまうだけです。そのかわり、そういう発言がもっている個人的な重要さは、好意から出たにせよ、敵意からにせよ、非常に大きいのです。たいていは、職務上の意味なんかよりずっと大きいのです」

 職務上/amtliche→Ende/死。
 ずっと/sehr→Seher/予言者。
 大きい/gross・・・権力。

☆すでのこうした発言には死の意味などありません。それに死の意味づけなどなさると、それはたいてい当惑するだけです。内密の重要性は好意からにせよ敵意からにせよ、予言者の権力が大きいのです、たいていは先祖の死の意味よりずっと大きいのです。

思えば遠くに・・。

2012-10-29 06:23:55 | 日常
 40才になったとき、人生の折り返し点に来たと思った。それまでは痛みと言うものには耐えなければと《薬》を服用しなかったけれど、(もういい)とばかり、風邪薬を飲んだら即治癒。(なあんだ)今までの堅い思い込みは何だったのと、がっかり。

 思い込みを捨てよう! 新しい自分に生まれ変わるのだと(ひっそり)決心してから、すでに25年。大した変化もなくただ無為に年を重ねただけという感じもしなくない。

 父母を送り、二人の子供を社会に出した・・・あとは無事にあの世に逝かれるように祈るのみの日常。


 思えば遠くに来たけれど、あの世に近づいただけともいえる人生。

 あと少し・・・束縛の希薄なフリータイム。もっと有効に過ごさなければと思う。
《老の時代を朗に換える》

 曇りなく明るく過ごすための条件・・・。


 背中を丸め足元も危なげなお婆さんが、ボォーッと道を歩いていても(それなりの条件克服のために)心の中は青春並みの葛藤で燃えている。(とまで言うと、嘘になるけど・・)

 思えば遠くの今にも消えそうな小さな灯かもしれないけれど・・・。

『ひのきとひなげし』35。

2012-10-29 06:04:22 | 宮沢賢治
 するとほんたうにそこらのもう浅黄いろになった空気のなかに見えるかみえないやうな赤い光がかすかな波になって揺れました。ふなげしどもはじぶんこそいちばん美しくならうと一生けん命その風を吸いました。

☆千(たくさん)の鬼(死者の魂)は空しい言(言葉)の幻である。
 責(咎めるべき罪)の講(はなし)の派(元から分かれている)の魅(もののけ)は、逸/隠れていて、消えており、冥/光がない。

『城』1078。

2012-10-29 05:42:32 | カフカ覚書
「そうじゃないのです」と村長は、聞き棄てにならぬ言葉だとばかりに、「ほんとうに重要なのは、じつはそういう電話での返事なのですよ。城の役人かたあたえられた報せが無意味だなんてことが、どうしてありましょう。このことは、すでにクラムの手紙の折に申しあげたとおりです。

 ein→Ahn/先祖。
 役人/Beamter→Ennde/死。
 クラム/Klam→Klan/氏族。
 手紙/Briefes→Britz/電光。

☆「いいえ」と、村長(死への入門)は先祖の言葉をしっかり捕らえて言った。「ほんとうに重要なのは、そういう思念伝達を無価値にすることなんです。終末(ほんとうの死、推論)の先祖の死の逃げ道が無意味だなんてことが、どうしてありましょう。すでに折りをみてのクラム(氏族)の電光が意味しています。

時の流れ?

2012-10-28 07:40:53 | 日常
 昨日は町内の清掃日、表通りに面した舗道の草取り、清掃である。

 町内会館に10時集合・・・5分前に着いたのに、5丁目はわずか2人(ウソッ!って感じ)1、2、3、5丁目、役員さん合わせても20人くらい。4月の新班長会議の時には会館に溢れるほどの人数だったのに、寂しい限り。とはいうものの6月の清掃日にはわたしも都合がつかず欠席している。

 それにしても・・・あまりに少人数。10年ほど前にも出たことがあるけど、そのときは一応並ぶほどには人がいたのに。
 
 班長の役目、会費を集めることと会報配り、それ以外は・・・「ごめんなさい」という感じなのかもしれない。
 町内会費は払うけど、回覧板も廻さなくていい代りに班長義務も遠慮させていただきたいという人が独身者だけでなく、足の不自由なご老人にも及んでいる。面倒だから抜けるという人も出てくる昨今、町内会は関心の外になっている傾向である。


「子ども会」もあるやなしやだし、運動会や文化祭、「老人会」も無くなったという。(老人が圧倒的に多くなっているのになぜ?)


 地域の活性より個々の生活が主流、でもいざというとき(この人誰?)というくらい人との交流が無くなっても困惑の極み。

 地域で子供の安全を守る、地域でお年寄りの手助けをする・・・いろいろ役目はあると思うけれど、地域の連帯が希薄になっているのは淋しい。

 かつて、長いこと町内会長を努めた人が地域が開け新住民が増えたころ「俺の顔を知らない奴がいる」とつぶやいたらしいけど、時代は流れている。