続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮 Ⅰ-2-2『中に犬・飛び方』

2015-08-31 06:56:03 | 美術ノート
 中に犬、犬とも思えないが中にいるのは犬と言っているのだから犬らしい。そしてその飛び方を表示しているという作品。

 犬に飛ぶという印象はない。飛び跳ねる、あるいは飛ぶように速く走るという光景は目にすることがあるけれど・・・。
 しかし、犬の足四本が地面についていない、つまり飛んでいるという現象は瞬間的だが、確かにある。


 重力に逆らって飛ぶ how to fry、異なる鉄の棒三本が犬を吊っているように見える。各三本は同一ではなくそれぞれの形態を持っている。確実性を得るためには、均衡という意味からしても四本が必要なのではと思わせる三本である。しかも形態が異なるということは力に差異があるということで、本来なら犬の身体はバラバラな力を受けるので悲鳴状態である。

 上部にある泡の集積は、犬が発するエネルギー量に等しいのかもしれない。しかし、ひどい重圧として設えてある。故に自己(犬)のエネルギーは、むしろ喘ぎのようにさえ感じられるのである。

 空中であれば浮力という支えはない。
 犬の飛ぼうとするエネルギー量が重力を越えた時、『飛ぶ』という現象は成立する。


 犬が飛ぶときのエネルギーの発散量、空気を押しのける振動の固定化。飛ぶためにはこれだけの抵抗と重圧に勝るエネルギーを必要としている、というあくまで憶測である。


 若林奮は、見えない空気振動のエネルギー量を推しはかりながら対象物の存在を測っている。見えない存在とのせめぎあいの質量を測っている。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮』展・図録より)

怖いほどに…。

2015-08-31 06:22:32 | 日常
 物忘れがひどい。何もかも、というか肝心なことがどうしても思い出せないで困っている。マダラではなく、並べてずうっと記憶が消失している。

 今朝起きて、下がった気温に準じた着衣を考えたけれど、猛暑になる以前の服装がどうしても思い出せない。
 (何を着ていたのだろう。)
 そういえば、夏になり急激な暑さを感じたころ、(わたしは真夏に何を着ていたのだろう)と、はたと考え込んでしまった日もある。

 昨日と今日の脈絡、少し前のことなどはまるで頑固なまでに思い出せない。

 昨今では、痴呆を疑い、ひどく落ち込んでしまうことが多い。記憶作用というものが甚だしく欠落している。
 子供の頃の学習態度を考えても、熱心に勉強したことがないから、記憶力の鍛錬が不足しているのかもしれない。


 足が萎え、皺のよったお婆さん。これだけなら何とか笑って過ごせるけれど、自分の記憶を失うとなると、これは不便どころか危険でもあるし恐怖である。


 こんな風に年をとっていく。これが当たり前なのだと言いきかせるが、どうも納得がいかない。
(まずいな、まずいな・・・)

 老化現象を、思いがけないところで認識させられる。
(まずいな、まずいな・・・)

 波のように繰り返す自己否定。しぼんだ花、枯れ落ちた葉、命の終わりが近づいている。順当なのだ、あの世に逝くときはどんな意気地なしでも自分の足で自分一人で逝くものだと聞いている。記憶機能が衰退しても生きる術はある、嘆かずに自分らしく生きたい。

 白露や 死んでいく日も 帯しめて (三橋鷹女)

『城』2069。

2015-08-31 05:56:56 | カフカ覚書
 アマーリアは、その婚約の話を知っていますの、と訊いた。Kは、たぶん知っているとおもう、と答え、だって、オルガはぼくがフリーダといっしょにいるところを見ましたからね、それに、こういうニュースは、村じゅうにすぐひろまるものですよ、と言った。


☆アマーリア(作り話/マリア)はその虚偽の話をオルガ(機関/仲介者)は知っていますか、と訊いた。Kはたぶん知っていると答え、だってオルガは、わたしと一緒にいたところを見ましたからね。それに来世ではこのように小舟へ導くことは迅速だし、すぐにニュースになるものです。

若林奮『泳ぐ犬』付記

2015-08-30 06:07:23 | 美術ノート
 

 犬を描くのに、泳ぐ状態を描くというのは奇異である。第一、犬全体の様相が見えない。
 しかし、
 あくまでも「犬とわたし」という相対関係の間に起きる波動が前提であって、犬が近づいてくる距離の収縮に起きる変化、散乱する光や空気の振幅への眼差しに焦点は存在している。
 作家は、泳ぐという現場(流体)に等しく空気の流動があると考え、その関係性を問うために『泳ぐ犬』を提示したのだと思う。

 犬が泳ぐとされる場(液体)は古い角材であり、傷や凹みがそれとなく時間を感じさせている。即ち、生きた時間の経緯である。

 泳ぐという抵抗のある現場であれば、必然的に多量のエネルギーが発散される。犬により放出されたエネルギーが空気の質を変容させ、手前で見る者を刺激するという関係性は、均一の空気をもたらさない。
 刻一刻、さらに細分化される空気の質。振動は電子レベルでは賑やかな波動を起こしているに違いない。


 作家は『泳ぐ犬』において、《変化する空気感≒人生そのものの縮尺》を感じたのではないか。『泳ぐ犬』は一つの尺度になりうる、計算不可の尺度である。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮』展・図録より)

『銀河鉄道の夜』63。

2015-08-30 05:41:36 | 宮沢賢治
ジョバンニが、どんどん電燈の方へ下りて行きますと、いままでばけもののやうに、長くぼんやり、うしろへ引いてゐたジョバンニの影ぼふしは、だんだん濃く黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ったり、ジョバンニの横の方へまはって来るのでした。


☆伝える等(平等)の法(神仏の教え)は化(形、性質を変えて別のものになる)の考えで帳(ノート)に印(しるしをつけて)営(こしらえる)。
 能(成し遂げる力)を克(じゅうぶんに)測(予想すると)、真(本当)の応(こたえ)である法(神仏の教え)の雷(神なり)がある。。

『城」2068。

2015-08-30 05:31:42 | カフカ覚書
「なぜいつまでもおなじことばかり訊くのか、ぼくにはわかりかねるね」と、Kは答えた。「もうこれ以上お邪魔しているわけにはいかない。家では許婚者が待っているんでね」
 アマーリアは、肱をついて身をささえ、そんな許婚者のことなんか知らない、と言った。Kは、フリーダの名前を言ってやったが、そんな人はしらない、と言うのだった。


☆「なぜいつまでも同じ質問をするのか、わたしには分からない」と、Kは言った。「もう長く留まるわけにはいかない、わたしの故郷で企み(計画)が待っているのでね」
 アマーリア(作り話/マリア)は不合理をいいことに、そんな企てのことなんか知らない、と言った。Kはフリーダ(平和)の名前を言ってやったが、そんな人は知らないと言うのだった。

若林奮1-2-1残り元素Ⅰ

2015-08-29 06:53:11 | 美術ノート
 不完全な人体、手がなく膝から下の足もない。本来この位置に留まっていられる姿勢でもない。背後には得体のしれない機械めいたものがある。小さな煙突のような物は、まさに何か蒸気を噴出させることを想起させる。引けば発信される動きを生じるのかもしれないハンドル。

 しかし、すべてが不完全である。
 決定的な集合体ではない、説明が不足しているのである。
『残り元素』という意味不明な題名。これ以上の分割は不能な要素である元素に、「残り」という修飾語を被せることに奇妙な違和感を抱く。

 万物の根源である元素に残りがある?(現今、周期表には空きがない)

 この台座の高さ、構成上の隙間から、この二つの物体は今しも落ちそうである。ひどく危うい。というか、すでに落下していても不思議でない人体、そして器械(これはもしかしたら、地上の変容、大地であり、噴出孔は火山を暗示しているのかのしれない)から滑り落ちてしまった人体、人体は二つの可能性を有している。

 
 この不安定な胸をえぐる様な重い危機感…これ以上分割できない元素というのは、物理的問題ではなく、精神的な範疇における残り元素である。喜怒哀楽のような、表現可能な状態ではなく、言うに言われぬ『零れ落ちそうな危機感を孕んだ深淵』この精神の底の底に『残り元素』があると作家は提示しているのではないか。

 若林奮という作家は、怖いほどに深い。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮』展・図録より)

『銀河鉄道の夜』62。

2015-08-29 06:21:44 | 宮沢賢治
 坂の下に大きな一つの街燈が、青白く立派に光って立ってゐました。


☆半(二つに分けた一方)は解(バラバラに離れる)。
 題(テーマ)には逸(隠れている)我意がある。
 当(あたりまえ)の照(あまねく光が当たる=平等)を吐く。
 律(物の基準となるきまり)を把(手につかむ)講(はなし)は、流(一か所にとどまらない/形を成さないで終わる)。

『城」2067。

2015-08-29 06:10:41 | カフカ覚書
あんたは、この村の出ですか。ここで生まれたんですか」
 アマーリアは、最後の質問だけをたずねられたかのように、そのとおりです、と答えてから、「じゃ、やっぱりオルガを待っていらっしゃるのね」


☆拘束の現在、いったい何が問題なんでしょう。一族はこの来世の出ですか、ここで生まれたのですか。アマーリア(作り話/マリア)はうなずいた。ただ最後の質問に答えて、つまりそれでもオルガ(機関/仲介者)を待っているんですね。