続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『レーダーホーゼン』

2015-02-27 06:41:46 | 村上春樹
 奇妙な構成の短編である。

 妻のそれほど親しくはない友人の両親の離婚に至った話の原因が「レーダーホーゼン」という吊り半ズボンにあるという。
 あらすじを書けば、内容が浮かび上がるという話でもない。言ってみれば、《実態のある核心》というものが希薄なのである。

 希薄というより、むしろ幻のような関係性である。危うく掬い取るような連鎖でつながっている。(それがどうしたの?)という脈絡はある。話は明らかに論理的に展開しているように見える。
 しかし、やっぱり、結果は存在するが、プロセスの展開は個人の見解(信念・ポリシー)の亀裂によって思わぬ方向に暗転してしまう。

 共同生活の長い時間がたった一つの触媒(レーダーホーゼン)を買いにいった店先で崩壊してしまう。夫と同じ体型の男を見ているうちに夫に対する耐え難い嫌悪感が泡のように湧き上がってきて・・・それで、そのとき離婚を決意したのだという妻(友人の母親)の言い分。

 曰く言い難い感情が、一つの光景によって明白に赤裸々に見えてくるという現象。
 わたしたちの個々を結ぶ関係性とは何であったのか。

 習慣的な日常において、見えない精神は置き去りにされていきかねない。しかし、想定外の条件下にある種の感情が押さえがたく沸騰するのを垣間見る。

 ごくありきたりの時間の流れのなかに、地下のマグマが爆発したような衝撃がある。しかし再び何事もなかったような、けれど明らかに異なる日常が、(生きなければならない)という条理の下に展開されていく。

 強い密着性のない、不思議な空間連鎖のスケッチ風物語である。
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『四月のある晴れた日に100パーセントの女の子に出会うことについて』

2014-10-16 06:06:29 | 村上春樹
 四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセントの女の子とすれ違う。

 この書き出しで始まる短編は、きわめて空想的である。にもかかわらず、誰もが抱いたことがあるような感覚であり、男と女の潜在的な希求を揺れ動かすような空気感がある。

 ある哲学者は「地味な、あるいは汚いとされるような色であっても、星の数ほどある色のなかには隣り合った時にその色を光り輝かせる異なる色が必ず在る」と言っている。
 即ち100パーセントの出会いである。

《100パーセントの女の子》彼女の姿を目にした瞬間から胸が地鳴りのように震えた僕。美人でもなく素敵な服を着ているわけでもないけれど、彼女は100パーセントの女の子なのだと僕は確信する。にもかかわらず、どんな女の子だったか、すれ違った彼女を思いだせない。しかし白いセーターを着て、まだ切手の貼られていない白い封筒を右手に持っていた・・・その手紙の中には彼女の秘密が・・・という空想を抱く僕。


 僕の妄想が小箱の中の小箱のようなストーリーをつむぐ。
 あの衝撃的な瞬間、出会いの胸の高鳴りは本物だったのだという強い確信。しかし、小箱に収めたような小さなストーリーを彼女に伝える術もなく西東に別れ人混みの中に永遠に消えていった彼女は、僕にとって永遠の100パーセントの女の子として心に刻まれてしまった。

 初めて会った見ず知らずの女の子、(女の子ですらなかったかもしれない、彼女は三十に近く、僕は三十二才だった)彼女を見た瞬間に感じた僕の中の物語を、彼女に話しかけてみるべきだったのだ、そう切り出してみるべきだったのだという心残り。

 風のように過ぎる衝撃、幻想に過ぎなかったのだろうか・・・確かに胸が震えるほどに100パーセントを感じた女の子だった。
 けれど、75パーセントの恋愛や、85パーセントの恋愛は経験したからこそで、永遠の100パーセントへの未練はやはり永遠に山の彼方なのかもしれない。

 村上春樹の作品には、瞬間的な風の香りをも普遍にしてしまうようなやさしい説得力がある。
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『カンガルー日和』

2014-10-10 06:47:53 | 村上春樹
『カンガルー日和』さりげないほどの短編である。
 新聞の地方版で知ったカンガルーの赤ん坊の誕生。それを見に行くのに、諸事情から延び延びになり一ヵ月後にやっとその前に立ったが、すでに「もう赤ん坊じゃないのよ」と彼女は繰り返し言った。
「あの袋の中に赤ん坊が入るって素敵だと思わない?」「そうだね」

 僕と彼女に交わされる会話・・・柵の中の四匹のカンガルー、父親のカンガルーは才能が枯れ尽きてしまったような顔つきで餌箱の中の緑を葉をじっと眺めている。
 
「ほら、見て、袋の中に入ったわよ」

 母親カンガルーと赤ん坊カンガルーは一帯となって時の流れに体を休め、ミステリアスな雌カンガルーは尻尾の具合を試すように柵の中で跳躍をくりかえしていた。


 僕と彼女の休日、デートのスケッチである。その中で、彼女は母親カンガルーの母性を観察し、僕は父親カンガルーの餌箱の中に失われた音符を捜し求める茫漠とした根拠のない不安を見ている。一つの柵に中にある奇妙な亀裂・・・。

「ねえ、どこかでビールでも飲まない?」と彼女が言い、「いいね」と答える僕の間に隙間はない。(これまで女の子と議論して勝ったことなんて一度もないのだ)


 カンガルーの赤ん坊を見に行きたいと言う彼女の希望に付き合う僕の平凡な日常の風景。
 会話の中の微妙なすれ違いは、僕の彼女に対する肯定(譲歩)で、綻びなど生じるべくもない。《ミステリアスな彼女を愛している》静かなる肯定である。
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