つむじ風

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新・映像の世紀(1)

2015年10月29日 22時12分38秒 | Weblog

 25日(日)地上波21:00~、NHKスペシャル「新・映像の世紀」6回シリーズの一回目。
今回は第一次世界大戦の前後を実録映像(動画)で放送。動画自体がこの大戦前後に初めて世の中に出現したものなので、これ以前の人間の歴史に動画は無い。そのインパクトは絵画、風刺画、いかなる文言をも圧倒する。何故、こんなこと(大戦)になるのか、呆然と見た。

 1914年、その年の年末(クリスマス)には戦争が終わって家に帰ることが出来ると誰しもが信じ、多くの若者が気軽に志願した戦争は、そのまま1918年までにも及んで、その結果3800万人の命が失われたとされている。

・科学者フリップ・ハーバー博士のこと
・アラビアのロレンスのこと
・イスラエルが建国された経緯
・レーニンのこと
・アメリカの財閥のこと
・ドイツに課した賠償金

一つ一つをとってみれば、科学技術が紆余曲折しながら進歩するように、これが人間の進歩の過程なのかな、時の流れなのかなとも思う。血生臭く、惨たらしい陰謀術策と国益という名の欲望に満ちた最悪の「過程」なのだけれど。
 人は神にはなれない。未来を見通すことも出来ないし、善と信じて進めてみても最悪の結果になることもある。こんな歴史を見ると、単なる愚かさを通り越して魔性の狂気さえ感じるし、その罪深さに恐れをなさずにはいられない。「過ちの多い人間の物語」である。

 運悪く貧しい国に生まれて、近隣諸国との軋轢の中で渦中に巻き込まれる個人には何の力も無い。しかし、指導者を選択し、下された短慮に声を上げて批判することは出来るはずだ。誤りに気がつけば引き返すことに勇気を持ちたい。フリップ・ハーバーが、妻が死をもって抗議してもなお「この戦争を早く終結させるために」毒ガスの開発は必要なのだと信じたが、その毒ガスが同胞であるイスラエル人の効率的な殺戮に使用されて始めてその罪深さに気付くという皮肉は、人間の愚かさを象徴するかのような話であった。

 そして、第一次世界大戦から27年を経て原爆を開発し、広島、長崎に投下したアメリカが全く同じように「この戦争を早く終結させるために」必要なことだったと公言し、その正当性を今も信じて疑わない。そして他の多くの核保有国は核の「抑止力」を神のように崇め信じて疑わない。人間の思想的進歩は科学技術のそれに比べて、ここ100年来何等の発展もないらしい。もし人間が未来を切り開くことが出来るとしたら、更なる膨大な時間という砂で磨かれた英知だけがそれを可能にするのかもしれない。

 旧作、「映像の世紀」も見ているが、その後ヤラセやデキ、意図的創作といったこともあり、その辺の配慮が窺われる。出来るだけ現存の動画や写真を使って裏打ちし、リアルに仕上げられているように思う。歴史教科書にも使用できるレベルではないだろうか。





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