つむじ風

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ヒマラヤ・スルジェ館物語

2024年06月17日 14時39分35秒 | Review

平尾和雄/講談社 1981年5月30日初版

 ネパール、首都カトマンズの西の町ポカラからは天気が良ければダウラギリ、アンナプルナ、マナスルが見えるかも知れない。ポカラの側を流れるカリガンダキ川上流、ダウラギリとアンナプルナの谷筋にタトパニという村がある。そこで宿屋を営んでいるのが主人公で、平尾和雄・スルジェ夫妻の話しである。
この谷筋の村は、チベット岩塩の交易路であり、ヒンズー教徒の聖地(ムクティナート)への巡礼路でもあるらしいが、とにかくえらい山の中で、この街道を行くには徒歩以外に方法はないらしい。カトマンズとポカラ間にバスが通うようになったのは著者が訪れるほんの1か月前だったと言うから、その山奥度がどんなものか想像できる。
場所が場所だけに訪れる人も其々超個性的で、書き物のネタには困らない。

ガラ村とタトパニ村のこと、スルジェの一族、茶屋から宿屋へ、ハッシシ・大麻、ヒッピー、文無しトム、バラモン行者(ヒマラヤの聖者)、スルジェの母サスの弔い、聖地ムクティナート、インディラと和尚、ロミラと正太郎、そして結婚式、オランダ人ヘルミナ、健次と竹笛、フランス系カナダ人ドミニク。

 単に「変わっている」「珍しい」という事だけではない。なぜ人は旅をするのか、旅をしなければならないのか、何を求めて旅しているのかを地で行っているような話である。
あの時代、多くの若者が世界に飛び出して行った。忘れていた「ヒッピー」という言葉も懐かしい。それもそのはず、自分と年齢が4~5歳と違わないのだから。
あの頃は、世界の何処かに「それ」があるのでは、と思っていた。だから、それを探しに「旅人」をやっていたように思う。万難を排して(全てのしがらみを投げ捨てて)後先考えずに飛び出したように思う。そんな時代の一つのドキュメンタリーである。
「健次と竹笛」、健次が著者に宛てた手紙の中で「それが何だったのか、大方忘れてしまいました。たいしたもんじゃなかったわけです。“自我”というやつかな。」というくだりがあるけれども、それはやはり自分探しの旅だったのだろうと思う。自分が「存在」することの意味を問う旅だったのだろうと思う。

この本を読むことになったのは、実はあるyoutubeを見たからで、そこに紹介されていたからである。ケンイチロウは実は漫画本愛読家なのだが、Youtubeのお題「ヒマラヤの花嫁」にもあるように、(漫画本以外では数少ない)著者の熱烈なファンなのだとか。

さーちゃんの日常「ヒマラヤの花嫁」- Tamaken kitchen
https://www.youtube.com/channel/UCJBYUUv5h8HU5BB73ebEQbg

「ケンイチロウ」は名古屋出身の日本人、嫁の「さーちゃん(サムジャナ)」はネパール人で、ネパールのポカラ近郊のサランコットという村の出身。ある意味著者と同じような環境にある。
現在は日本で暮らしているが、かつてケンイチロウも「旅人」だったのだ。
著者が第一世代の「旅人」であるとしたら、ケンイチロウは第二世代の「旅人」になるのかもしれないが、旅する人の本質は少しも変わっていないような気がする。

この本の「スルジェ館」にまつわる話には実は前後があって、以下の順になる。
・ヒマラヤの花嫁
・ヒマラヤ・スルジェ館物語
・スルジェ ―ネパールと日本で生きた女性―

本当は順に読みたかったのだが、最初の「ヒマラヤの花嫁」が入手できず、話が前後することになってしまった。ちなみにスルジェはネパール語で「太陽、日神」という意味。






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