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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

インド銀行株の投資タイミング

2007年02月26日 | 株式

インドの銀行株が少し値を下げているがここは買うタイミングを探るところだろう。ウオール・ストリート・ジャーナルは以下の様に述べている。

  • 米国や他の海外投資家はインドの民間最大手銀行2行の株の半分以上を保有している。この2行の株はインド・米国双方で上場されているが過去3年間で3倍になっている。

インド最大の銀行はState Bank of Indiaである。インド最大といったが、従業員数と支店数に関して言えば、State Bank of Indiaは世界最大の銀行である。ただし同行の株の6割はReseve Bank of Indiaが保有しているので株はボンベイ取引所に上場されているが民間銀行とは言えない。従って民間最大手銀行というとIcici BankとDGFC Bankになる。

  • インド中央銀行がインフレ抑制のため引締政策を取り出したので、銀行の利益が減るという見通しから銀行株はピークに比べて1割位下げている。しかし投資家の中にはファンダメンタルな点でインドの銀行株は魅力的だと言う。インドの中産階級は過去にない程借入を選好しているし、企業も工場拡張等のため借入を行なっている。インドの銀行株に投資することは、年率9%のペースで成長するインド経済に投資することを意味する。
  • インドの銀行は中国の銀行に比べて小さく、インド最大の銀行でも中国の5,6番目の銀行と同サイズである。

これはインドの銀行の成長可能性を示唆している。これはグロースな投資対象である。中国の銀行同様、インド銀行株も割高に見えるが成長性は高い。インドで外銀が国内銀行を買収したり多くの支店を展開するには制限がある。この制限は少なくとも向こう2年は持続する。

中央銀行の引締政策で来年のインドの銀行は10%程度の減益が見込まれるが、それでも貸出は20%も伸びる予想である。この伸び率というのは先進国では見ることの出来ないものだ。

ということでインドの銀行株は少し下げたところが買い時だと思って様子を見ることにする。Icici BankとHDFC Bankはニューヨーク証券取引所に上場しているので、日本からも簡単に買うことが出来る。頭が重たい日本の銀行株を少し叩き売ってスイッチするのも良いかもしれない。

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啄木は分からず

2007年02月26日 | うんちく・小ネタ

今日(2月26日)の朝日新聞・天声人語に石川啄木の歌を引用しながら、フリーターの話が書いてあった。

「はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」 

天声人語は明治大学の池田功教授の解説を載せる「個人的な事情はあったにせよ時代や社会の貧しさを詠み込んだからこそあれほどの共感を呼んだ。いま、この歌が盛んに引用されるのは時代が悲しくつらいからでしょう。」

少年時代に私は啄木の「一握の砂」などを読んだことがある。

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる

リズムの良い歌だと思ったが、私にはそれ以上の共感はなかった。啄木に流れるものは強烈なナルシズムであるが、私はこのナルシズムに反発を覚えていたのだろう。今の若い人が啄木に共感するとすれば、それは啄木の貧困のみならずその強烈なナルシズムに魅惑されているのだろう。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ

ナルシズムの極地の様な歌だ。ナルシズムというと安倍総理が掲げる「美しい国」という言葉にもどこかナルシズムの響きがある。ナルシズムを一概に悪いというつもりはないが、過度のナルシズムは自己の中に沈みこみ、社会性を喪失させる。また合理性・科学性・客観性を減退させる。今の日本の精神構造の中にナルシズムが深く入り込んでいるのかもしれない。というか元々日本人はナルシストの要素が多い国民なのだろう。

ところで俵 万智の「言葉の虫めがね」によると「意外と啄木には、冷めた部分があった」らしい。

今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊まりし宿屋の 茶のぬるさかな

啄木は歌の中で良く泣く。蟹に泣き、母を背負っては泣く。男はこうも泣くものだろうか?男が泣く時はもっと別の時ではないか?と私は思ってしまう。それはさて置き俵 万智は「思う存分泣こうとしてやってきた宿屋。その感傷的な気分の高まりを、いっきに現実にひきもどしてしまう『茶のぬるさ』。・・・・もうひとりの自分がいなくては、生まれない歌ではないだろうか」と解説する。

ナルシストの啄木の中の冷めた自分。今フリーターの人達に求められることはこの冷めた自分なのだ。甘える自分ではいけない。不幸に陥った自分を慰める自分だけではいけない。現実を見つめつつ、将来を見つめつつ、一歩一歩努力していく自分が必要なのだ。

私には啄木の歌は分からない。いや、敢えて分かろうとしない私なのかもしれないが。

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