金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

烈風の天狗岳

2007年02月11日 | 

2月の3連休の一部を使って八ヶ岳連峰の天狗岳に登った。10日(土曜日)午前8時半スタッドレスに付け替えたマイカーで相棒M君と奥蓼科に向かう。登山口の渋御殿湯手前で道路に雪が出てきた。12時40分渋御殿湯出発。登山口から雪が積もっているが、ワンピッチ歩いてアイゼンを着ける。唐沢鉱泉からの道と合流する少し手前にコメツガの森が切れたところがあり、中山峠方面が見通せた。

Nakayamatouge

コースタイム(2時間20分)を少し切り、2時40分黒百合ヒュッテに到着。小屋の前にはカラフルにテントの花が咲いている。

Tent

黒百合ヒュッテは一人一泊二食7,600円二人で個室を頼んだので個室代が1,500円、小屋は今日100名の登山者が泊まるということでごった返していた。夕焼けを撮りたいと思って晩飯前に外に出たが、陽は雲に隠れるところで良い写真は撮れなかった。

Yuuhi

小屋の晩御飯はご飯のお茶碗に出来合いのハンバーグとサラダを乗せて食べるというなんともセワシナイもので、しかも二交替制である。楽しみにしていた酒を飲む気にもなれず、晩飯が終わると直ぐ布団に入った。しかし台所の洗い物の音や登山客の話し声で中々眠ることができない夜だった。

11日(日曜日)小雪、風強い。小屋の外の温度計はマイナス14度。6時40分に小屋を出て中山峠経由で天狗岳を目指す。我々より先に登っている人は2名程で昨夜降った雪が風に舞い時々トレースを消す。天狗岳に近くなると稜線に岩場が出てくるが、諏訪側をからんで行く。7時50分東天狗頂上に到着。

Tengu

写真は相棒のM君だ。主稜線を西に外れたところにある西天狗の方が少し高いのだが、この風と雪では何の眺望もないので本日はここを持って終了点とした。黒百合ヒュッテを経由して10時30分渋の湯に下山。渋川温泉保科館で一風呂浴びた(日帰り入浴800円)後、M君がまだ行ったことがない諏訪神社に寄りたいというので高速インターに近い上社にお参りした。

Suwa1

おりしも重要文化財の社殿では結婚式がとり行われていた。バツイチで今独身のM君は「こういう本当の神前結婚式いいですねぇ」としんみり言いながら、しばらく式を見ていた。心に何か期すものでもあるのだろうか?私は今回の登山の無事を感謝して神前を後にした。

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個人資産運用の本格研究って何だ?

2007年02月11日 | 金融

2月9日日経金融新聞の複眼独眼に「個人資産運用の本格研究を」という記事があった。この筆者が言いたいことは「(金融商品の)売り手でない人が個人資産の運用について包括的かつ世界的にも最高レベルの研究をして欲しい」というものだ。

そこでこのテーマについて次の切り口から問題点を考えてみよう。それは「資産運用は運用主体~個人、年金基金、大学等の財団(米国のことが多い)など~ごとに異なり特別の研究がいるのか?」ということである。

これに対する私の見解はNo & Yesである。つまり資産の運用に関する基本的な法則~例えば効率的市場仮説・分散投資などの基本的な金融理論は共通する。Yesの部分は「資産運用の目的」「資産運用の期間つまりInvestment Horizon」「リスク耐性」「チェック機能」などである。しかしこれは資産サイドの話というよりは実は運用する資産を使うサイドつまり負債サイドの話なのである。結論を急ぐと研究が必要なのは個人の主観的なサイドに係る話なのであり、これはむしろ人生論や哲学の分野の話なのかもしれない。

実は資産運用の目的、投資期間、リスク耐性が運用方法や運用リターンに与える影響は大きい。例えば米国の大学基金等は超長期的な資産規模の拡大を目的にするからInvestment Horizonが長くかつ利害関係人が少ないのでリスク耐性が高い。従って大きなリスクを取ることができ、結果としてヘッジファンドをも上回る高いリターンを上げることができる。基本的には超富裕層の資産運用もこのようなものだろう。

では一般的な個人は何を目的に何を目標として資産運用をするのか?最大公約数にいうとそれは「老後資金の拡大を目指して」「自国の経済成長率を若干上回る程度」の運用利回りを目指して資産を運用するということである。

自国の経済成長を若干上回る程度の運用を目指すのであれば、基本的には国債等の債券を中心とした運用が良い。何故なら国債の利回りは長期的にはその国の経済成長率と歩調をあわせるからである。ただし債券利回りと株式のリターンの間にも相関関係があり、かつ株式のリターンの方がリスクプレミアムの分だけ高くなるので、一部を株式で運用するといったことになる。

もし一般的な個人が国債金利つまり長期金利を大幅に上回るリターンをコンスタントに狙うとすればそれは投資ではなく投機になり長続きはしない。つまり効率的市場仮説が教える様に高度化した市場経済の下で、個々の投資家は市場に勝てないからである。勝てないことを幾ら研究しても仕方が無いのである。(これに対して大学基金や超富裕層はエマージング市場等の非効率的市場で勝負をするから、高いリターンを上げる可能性がある。しかし運用資産額が小さく調査能力に限界があり、かつ流動性を必要とする個人が非効率的市場で本格的に勝負することは考えられない。)

従って個人の資産運用のポイントは、運用そのものを研究するよりも自分の資産運用の目的やInvestment horizonを明確にするということなのだ。更に言うと資産運用も自己実現の一手段に過ぎないので、資産運用の目的を人生の目的に従属させることの方が大切である。資産運用には多少詳しくなったが、人生の目標を失った・・・・ではお話にならない。

以上のようなことを踏まえた上でなお私は発展途上国の債券・株式・投資信託等多少非効率的な市場に個々人の知識やリスク耐性に合わせて少し投資することは悪いことではないと思っている。

その理由はこれらの投資が超過リターンをもたらすからだけではない。いや超過リターンをもたらさないどころかマイナスをもたらす可能性もある。ではそれでも何故投資をするのか?それはそのような投資が人生に適度な刺激と勉強のチャンスを与えてくれるからである。新聞~できれば少し年を取ってもたまには英字の専門紙でも~を読んだり、本を読んだりしながら、自分の投資の水平線の彼方の世界を想像することは楽しいしボケ防止にもなるだろう。

この新聞記事に対する私の結論をいうと「個人資産の運用」に限って必死に研究する程の専門的なノウハウがある訳ではない(無論資産運用そのものにはもっと研究する課題はある)ということになる。

むしろ大切なことは「資産運用の基本原則」~効率的市場仮説と分散投資理論~を噛み砕いて説明し、体得させることなのだろう。そしてその後は個々人が人生に対する多少の刺激物程度にリスク資産と付き合えば良いと私は考えている。

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