WSJにAI is the next workplace disrupter- and it's coming for high-skilled jobsという記事が出ていた。
記事の趣旨は人工知能(AI)の進展で、もっとも影響を受けるのはマーケッティング専門家やコンピュータ・プログラマーのような知的職業従事者で、ブルッキングス研究所の研究によると大卒者の方が高卒者の5倍程度人工知能の影響を受けやすいということである。
オートメーション等過去の技術革命では主に工場の単純労働者の仕事が機械に代替された。しかし人工知能はデータ分析等に優れた力を発揮するので、その方面の仕事に従事している人の仕事は代替される可能性が高いのだ。
たとえばレントゲン画像から病気の兆候を探していたレントゲン医師の仕事は人工知能に取って代わられる可能性大だ。顧客の職業・金融資産・リスクタ許容力などを分析して、資産形成アドバイスを行うフィナンシャル・アドバイザーの仕事も人工知能に置き換わる可能性の高い仕事だ。
逆に人工知能の時代になっても影響を受けない仕事がレストランのコックさんや小売店の販売担当者である。ブルッキングス研究所によると溶接工や人材スペシャリストも人工知能の影響を受け難い仕事に選ばれていた。
もっとも人工知能が知的職種の仕事全部を奪う訳ではない。たとえばレントゲン医師は画像分析による病気の兆候発見の入り口部分を人工知能に任せて、より境界線上にある微妙な画像の解明や患者との対話などに時間を割くことでより生産性の高い仕事ができるはずだ。
この記事は二つのことを示唆していると私は感じた。
一つは知的職業や知的仕事のプロセスが「人工知能が代替できる分析的な仕事」と「人工知能が代替できない総合的判断や対話による問題解決など高度な仕事」の二つに分解刺され、前者のエリアには人工知能がどんどん進出するということだ。
もう一つは「いい加減な大学教育は意味をなさない」ということだ。いい加減な大学教育とは暗記型・技術習得型の大学教育であり、反対にいい加減でない大学教育とは「総合的判断や対話による問題解決力を養う教育」だということだ。これは簡単にいうとリベラルアーツを勉強するということである。
リベラルアーツを直訳すると「教養教育」となるが、これは誤解を招く。むしろ「哲学を学ぶ」と考えた方が正解に近いと思う。昨今文系よりも理系を重視する傾向にあるそうだが、これは本格的な人工知能時代が到来した時すぐに淘汰される人材を育成しているに過ぎないかもしれない。もしブルッキングス研究所の研究が正しいとすれば、人工知能時代を生き残るのはリベラルアーツを学んだ学生である。もっとも理科系に進学するのは難しいし勉強が大変そうだから哲学を選んで文系に進学しよう、などという気持ちで文系に進む人間では人工知能に淘汰されることはいうまでもない。
長い間PCのブラウザはグーグル・クロームばかりを使っていました。マイクロソフトのEdgeを使うのは、確定申告でe-Taxを利用する時位でしょうか?e-Taxではクロームは使えないと指示がでますから。
慣れの問題もありクローム一点張りで行こうと思っていたのですが、ある点でEdgeが便利だと思うことが出てきました。それはEdgeを使うとパソコン上で開いているWebサイトに手書きペンやタイピングで書き込みができることです。
下の画像は英字新聞の記事にマーカーで印を付け、ポイントの部分に日本語メモをいれたものです。
詳しい仕組みは分かりませんが、ブラウザのペンマークアイコンをクリックして書き込みモードにするとOne Noteが立ち上がってそこに書き込んでいるような仕組みかもしれませんね。
ブラウザに直接注釈を入れるというのは色々使い道がありそうです。
ただしインターネット検索についてはMicrosoftが提供するBingではなく、グーグルを使いたいので、Edgeの設定から検索エンジンをグーグルに設定しました。設定方法はEdgeのバージョンによっても異なるようなので省略しますが、概ね右上の「・・・」から「設定」→「詳細設定」と進んで検索エンジン設定でグーグルを指定するという手順です。
私は幾つかあるブラウザの中でどれが良いとか判断する材料は持ち合わせていませんが、当面用途に合わせてクロームとedgeを使い分けることがになりそうです。
天皇誕生日をはさむ三連休である。この時期の三連休というと通常はスキーなのだが、今回はちょっとした事情からスキーは見送って自宅で過ごしている。天気が良いのに遠出をしないので暇である。暇だから本を読む。その中に「徳川四百年の内緒話」という本があった。
中々面白い本で、特にに目に留まったのは「慶喜(最後の将軍)が二十以上の趣味に没頭し、大正時代まで生きた」という話だ。
長寿命化が進む現代、老後の趣味を充実させないと暇を持て余すことになりかねない。慶喜の話の中には参考になるところがありそうなので紹介したい。
まず本が紹介する慶喜さんの趣味を列挙してみよう。
もっとも熱中したのは「写真」で次に「乗馬」「投網」「油絵」「囲碁」「弓」「和歌」「外国語(フランス語)」「サイクリング」「狩猟」「釣り」「車」「刺繍」「工芸」「陶芸」「打毬」「放鷹」「将棋」「能」「書」「俳句」「日本画」「鶴の飼育」「楊弓」「小鼓」と「徳川四百年の内緒話」は書き「このどれもが、プロも舌を巻くほどの腕前になったというのだから、慶喜という人はやはり異能の人であったのだだろう」と結んでいる。
列挙された趣味は読めば大体わかるのだがちょっと説明がいるのは「打毬」(だきゅう)だろう。調べたところ馬に乗って毬を打ち合うポロのような競技らしい。慶喜は馬術の名手だったから打毬も得意だったのだろう。
慶喜の趣味の中にはこの「打毬」や「放鷹」「楊弓」などのように現在では簡単にできないものが幾つかある。一方現在のシニア層が趣味にしている「写真」「囲碁」「釣り」「将棋」「和歌」「俳句」「絵画」など身近なものも多い。
「慶喜さんはお金持ちだったから色々なことができた」というのは事実だがお金があれば色々な分野でプロが舌を巻く腕前になれるか?というとそれは難しいだろう。
慶喜をそれ程趣味に駆り立てたのは、鬱屈したエネルギーがあったのではないか?と思うがこの本はその点には言及していない。ただ「将軍職からおりて、静岡で謹慎生活をおくるようになると、『毎日が日曜日』だからとにかく暇を持て余し、ほとんど趣味の百科事典のようになっていった」と書いている。
また「負けず嫌いだからとことん熱中しどの趣味もプロといえるくらいの領域までいった」ということだ。
プロの領域に達することは困難だが、どんな趣味にしろ熱中することは大事だと思う。熱中して小さなサークルなどでリーダー格になって仲間を増やすような活動ができると老後は充実するだろうと改めて感じた次第だ。