金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

日本に学んだ北朝鮮のイントラネット作戦?

2007年02月02日 | 国際・政治

勉強不足で最近まで知らなかったが、2000年に米国のマデレーン・オルブライト国務長官が金正日を訪問した時、金正日は彼女の電子メールアドレスを訊ねたという話は有名らしい。実際北朝鮮ではインターネットが盛んでエコノミスト誌によると若い人の間ではインターネット・デイティング~ガールフレンドとのおしゃべり~もあるらしい。また大部分の学校でコンピュータ・コースは強制的である。

北朝鮮がインターネットに力を入れているのは、インターネットを利用して先進国の先端技術にアクセスできるからだ。しかし平壌の人々はグラスノッチとペレストロイカつまり解放と透明性が旧ソ連を崩壊させたことを忘れていない。

実は北朝鮮は2000年に全国的な光ファイバーによるイントラネット網をスタートさせてブラウザ、電子メール、ニュースグループ、サーチエンジンを備えているが、北朝鮮コンピュータセンターが巨大なファイアウオールを設置しているので、大部分の人はインターネットの世界にダイレクトにアクセスすることはできないのである。直接インターネットに接続できる人は数千人ということだ。

CIAのレポートで読んだのだが、レポートは北朝鮮の情報統制は日本の鎖国時代における和魂漢才・和魂洋才の考え方と同じであり、幕府が西洋の思想的な影響を避けるため科学・技術関係の本を選択して翻訳する蕃書調書を1856年に設置したことと同じだと述べている。

しかし幾ら防ごうとしても、江戸後期から幕末にかけて真理を求める学者や知識人が西欧の思想を吸収した様にそしてそれが幕府の崩壊を加速した様に、北朝鮮の情報コントロール網が破れてソ連の崩壊と同じ轍を踏むことになるかもしれない。

それにしてもCIAは良く日本史や東洋史を勉強しているなぁと思った。諜報活動というものは膨大な既知の公開情報を積み上げることだという基本を着実に実践しているということだろう。

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ちょっと借りておくのも手ですかねぇ(その2)

2007年02月02日 | 金融

この前は米国の個人信用スコア一を消費者の観点から述べたが、今日は金融マンとしての話をしよう。信用リスクつまり債務者が債務不履行に陥るリスクを点数化する手法は米国で発展し、今では日本に金融機関でも信用リスクの計量化が試みられている。しかし信用リスクの計量化についてその努力は善しとするが、私が見たところ幾つか問題がある。まず問題は中規模サイズの一金融機関で計量化するにはサンプル数が少なすぎるということである。次にスコアリングモデルでどこまでバックテストが行われているか?という点が問題だ。これはスコアリングに基づいて与信を取り上げた先のみならず取り上げなかった先までデフォルトの有無を確かめるべきだが中々大変である。

これについて私が思っていることは「過去のデータ蓄積が少ない日本では複数の銀行がデータを持ち合ってでも有意義が信用格付モデルを作るべきである」ということだ。実はこれは個人の健康と血圧やBMI指数と同じような関係にあると考えられる。各種の財務比率や企業規模等をもとに計算される信用スコアリングというものは、企業の健康状態に対する確率的な判断を示すに過ぎない。つまりBMI指数があるレベルより高い人は何々の病気にかかる確率が高いということは言えるが、絶対に病気になる訳ではなく、またBMI指数が低くても病気になる人はいる。

とはいえ血圧やBMI指数同様信用スコアリングというものも役に立つものなので、本来はナショナルインフラとして整備されるべきではないだろうか?

米国の個人信用スコアリングの話に戻るが、多くの金融機関がFICOのスコアリングと独自のスコアリングシステムを併用していると聞く。つまり良い医者が血圧やBMI指数を参考にしながら、個々の患者の遺伝的特性など考えながら具体的治療法を施すのとどこか共通点があるといえる。

私は米国で個人信用スコアリングが国民的インフラとして使われていることで、多くの優良な消費者が様々な与信手段にアクセスすることができ、より様々な目的を達成しているのではないか?と考えている。日本では個人情報保護をはきちがえて、信用データが集中することを警戒する人がいるがこれは筋違いも甚だしい。その結果高い金利のお金を借りざるを得ない人が多く存在しているということになる。もっとも日本人には借金を恥とする文化があるのでそのことは考慮しなくてはなるまい。

しかし私は借金をすること自体は恥でもなければ隠す程のことでもないと考えている。恥じるべきことがあるとすれば、それは借りた借金を返さないことである。また隠すというのは借金の資金使途に人に言い難いことがあるからではないだろうか?

というような文化風土が企業の信用リスクモデルにも影響して、日本では上質なモデルが出来ないと私は考えているが如何なものだろうか?

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