先週北海道は阿寒郡鶴居村に住んでいた母の兄が93歳で亡くなった。伯父の死は北海道新聞等地元の新聞で大きく報じられた。というのは伯父は鶴居村で長年牧場を経営し、ドサンコ・ホーストレッキングの生み親とも言われていたからだ。またタンチョウ鶴愛護協会の初代会長も務めたらしい。
伯父はいわゆる馬産家である。馬産家という言葉は余り聞かないが、戦前は祖父の下で軍馬を育てていた。戦後軍馬の需要がなくなり、また農耕馬もトラックやトラックターに取って代わられたが、伯父はそれでも頑固に数頭のドサンコを育て続けていた。
私は学生時代を含めて何度もこの伯父のもとを訪れ、ドサンコに乗り乳牛の放牧に出かけたものである。伯父の牧場は釧路湿原の北西端に広がり、少し小高い丘に登ると「あー、日本にもこのような広い大地があるのか!」と感動を覚えたものだ。
私は都合が合わずお葬式に出向かなかったお葬式に行った母の話では、多くの会葬者が集まる立派な葬式だったということだ。
伯父は経済的には決して豊かではなかったが、自分の信念を貫いた93年の人生を送った。最晩年こそ体が不自由になりベットの上で過ごさざるを得なかったが、贈られた賛辞を見れば幸福な人生だったというべきだろう。それは私達一族の後輩に人が生きる意味とは何か?ということを今一度考えさせるものだろう。
春になれば釧路湿原を吹き渡る風の中に身を置いて、伯父のことやここを開拓してきた一族のことに思いを巡らせたいと考えている。