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里やまのくらしを記録する会

埼玉県比企郡嵐山町のくらしアーカイブ

「報道」より見た1964年(昭和39)

2009-04-12 09:58:00 | 嵐山地域

 「報道」百五十号発行記念祝賀会は二月十一日、信金菅谷支店の二階で開かれ、保存者の六名を表彰した。
 七小中給食室完成、二月十日給食開始、工費二八六万円、給水タンク二〇万で総計四一九万円である。
 菅谷中央簡易水道完成。日本水道が二千六万円で落札して工事をしたもの。
 太郎丸の精進橋は五月完成した。
 菅谷幼稚園は四月開園した。根岸忠与氏が園長で定員八十名。
 小林助役辞任、五月末日で十七年にわたる収入役と助役の生活から退いた。
 九月六日に行はれた村長選挙は新人関根茂章氏が前議長の青木高氏を圧倒的に引き離して三代目の村長に就任した。関根村長は三十九才の青年であり「愛と道義の行政」を基調として、理想の田園都市を建設する基本方針を述べた。
 九月の定例村議会で議長に奥平武治氏が選ばれた(十代目)。
 教育長金子慶助氏は十月二十六日急逝した。教育委員長関根昭二氏を葬儀委員長として教育委員会葬を二八日に七小講堂で執行した。
 社会教育主事補の井上文雄氏は十一月十八日死去、十二月一日の教育委員会で教育長に奥住清氏を選任した。
     「菅谷村報道」159号 1965年5月10日


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