昭和十六年の家計簿
昭和十年十二月、菅谷大火災の記録によれば(前々号所掲、中島喜市郎氏の覚書き)、村内外からの見舞金、一口最高一〇〇円から一円まで総計は、二一二八円六銭となっている。約二一三〇円である。
試に役場隣の奥野洋品店にきくと一品二一〇〇円程度のものは、男の替ズボン、浴衣なら二反だという。これがその当時どの位の値うちがあったものなのだろうか。一円の貨幣が道に落ちていても、今では拾い手もないという。
その一円が昭和十年頃はどの位のねうちがあったのか身の廻り、日用品の値段が分れば、それを今と比較して、当時の金のねうちを知ることが出来るし、又、その頃と今を比べると物の値段がどの位高くなっているのかも知ることが出来ると考えて、当時の家計簿を探し廻った。敗戦という大きな変動の遇い、物の価値が一転し過去を無視したり咎めたりした時期が暫く続いたためか、僅か二十数年前の記録であるが、仲々見当らない。然し、幸い、関根操さん(長倭氏夫人)の、昭和十六年(1941)の家計簿を探り当てた。
関根さんを古老にあてては申し訳ないが、もともと、老いというのは、「古実をよく知っている老成の人」という意味で、年令に若者には拘らない。新しくても「老酒」つまりよく、ぬれた酒と同じである。さて関根さんの
メモから、拾ってみると、
▽食料品では
白米(一升)四十銭
小豆(一升)三十銭
味噌(百匁)二十銭
醤油(一升)六六銭
食油(一升)六三銭
清酒(一升)一円十銭
ビール(一本)五十七銭
豆腐(一丁)十二銭
ブリ切身(一切)二十銭
りんご(一個)十銭
夏みかん(一個)十五銭
お茶(百匁)五十五銭
等があり、
▽光熱費として
水道料(一ヶ月)一円二〇銭
練炭(一包)八十一銭
炭(檜丸)(一俵)二円十三銭
▽雑貨では
靴ずみ 三十五銭
はみがき粉 二十銭
たわし 十五銭
茶椀 十五銭
竹ほうき 二十五銭
水のう 三十銭
▽衣料では
シュミーズ 一円五十銭
ズロース 一円十銭
▽その他
新聞代 一円二十銭
家賃 十五円
等である。その頃関根さん夫婦子供さん三人、大宮に住んでいた。大宮と毛呂との電車賃が往復一円四十銭である。
さて右の品の中主なるものについて、現在の値段を調べてみると、
白米(一升) 一五〇円(三五七倍)
味噌(百匁) 三〇円(一五〇倍)
醤油(一升) 一四〇円(二一二倍)
食油(一升) 二八〇円(四四四倍)
清酒一級(一升) 八一〇円(五五五倍)
ビール(一本O 一一五円(二二〇倍)
豆腐(一丁) 一五円(一二五倍)
ブリ切身(一切) 三〇円(一五〇倍)
りんご(一個) 二〇円(二〇〇倍)
夏みかん(一個) 三〇円(二〇〇倍)
お茶(百匁) 一五〇円(二七二倍)
炭(檜丸)(一俵) 四五〇円(二一一倍)
靴ずみ 六〇円(一七一倍)
はみがき粉 百円(500倍)
たわし 一〇円(六六倍)
竹ほうき 三〇円(一二〇倍)
水のう 五〇円(六六倍)
シュミーズ 四〇〇円(二六六倍)
ズロース 一五〇円(一五六倍)
新聞代 四五〇円(二七五倍)
となり、平均二四〇倍である(一個一丁といっても、形状分量、品質の相違があるからこの倍数は必ずしも正確とはいへない)。ところで明治八年(1875)を一として、日本の物価指数を調査すると、昭和十年(1935)は三・六、昭和一五年(1940)は五・八六であり現在は一四八七と推定されるといふ。従って現在の物価は昭和十年に対しては四一三倍、昭和十五年に対しては二五三倍(前記の二四〇倍と大体一致する)になっている訳である。
そこで火災の年、昭和十年(1935)の四一三倍をとって、当時の見舞金を換算して見ると、
一円は四一三円
十円は四一三〇円
百円は四一三〇〇円
となる。この数字を今の感覚にあてはめると、さしづめ、
一円は五〇〇円
十円は五〇〇〇円
百円は五〇〇〇〇円
の見舞金を包んだ勘定になるだろう。見舞金総計二一二八円六銭は、八七万八八八八円となる。見舞金全部を白米にすれば一升四拾銭として五三石一斗となる。一人二合として二六五五〇日、約七年間の食糧である。五人家族の家庭では、十四年余りの米代となる。昭和十五年菅谷第一小学校の先生の給料平均は、六十円であるから,中堅職員の三十五・五月分(約三年)の給料である。
今では男の替ズボン一着分しにかならない金額だが、当時は大したものだった。以上火災見舞金の注釈の意味で蛇足を加えた次第である。
『菅谷村報道』146号 1963年(昭和38)8月30日