水なし村に待望の水
菅谷村平沢で喜びの水道通水式
昔から水なし村といわれ嫁のきてもなく、三十三戸がただ一つの泉の水を使っていた比企郡菅谷村平沢が新農村建設事業のおかげで、一足飛びに簡易水道施ができあがり、二十五日朝からこぞって喜びの通水式を行なった。
同は東上線武蔵嵐山駅から約四キロ、山あいの純農村地帯で、このあたりはどこを掘っても井戸は赤い水で使えず、祖先伝承赤井の池(泉の名)が生活のすべてだった。
水口から一番遠い家は千六百メートルもあり、一日三回木のオケを天ビンにかけての水くみはほとんど女の仕事だった。
“なんとか給水施設を作ろう”との山田村議ら地元民の切なる願いは役場を通じ県、農林省にも届き、県下初の特殊事情が認められて新農村建設事業のワクが取れ、去る九月三日から地元民協力による簡易水道工事に着手、待望の水がこのほどビニールの配水管を伝わって出た。
総工費は百九万三千八百円、一戸あたりの分担金は一万四千三百三十円、あとは村と国庫補助である。
これで平沢の人たちはいままでの水くみの重労働から開放され、若者たちは“嫁さんのきても多くなるから大いばりだ”と冗談を飛ばし合い、八十二才の老婆は“長生きはするものだ、赤井の水で毎日フロにはいれる”と喜び合っている。
毎日新聞(埼玉版)1958年(昭和33)10月26日掲載記事