今朝の新聞各紙には、21世紀臨調の諸団体が、自・民のマニフェストを検証したと出ています。
21世紀臨調 マニフェスト検証大会 自・民に辛口評価 3勝3敗2引き分け(産経新聞) - goo ニュース
いろいろな項目にわたり評価しているようです。
こういうものをそのまま信じる人はいないと思いますが、私の感想からまずお聞き下さい。
だいたい、この手の評価というのは、公平を装っているが、実はそうでないというのが疑り深い私の立場です。
その団体の立場とか理念が反映されているということです。
連合なんか極端な例ですが、ここは民主びいきですから、当然そちらの点がよくなる。
ここにはありませんが、経団連がいたら自民が圧倒的によい点数をもらったでしょう。もっとも、さすがの経団連も、最近はその路線が危ういとみて、自民から少し距離をおこうとしているようにも見えますが。
ともかく、人間が物事を評価をするときはどうやっても客観的にはならない、といことを言いたかったわけです。
客観的に評価するために点数制を導入するのだといっても、評価のプロセスが客観的に見えているだけで、その点数をつけている人のおつむはまったく主観的だということです。
だから、大事なのは相手の主観、つまり価値観や行動基準をきちんと把握することなのです。そういうことを勉強したい人のためにL研クラブはある。
最近では知事会というものがずいぶん活躍しているようで、彼らも地方分権で自・民のマニフェストを評価していました。
しかし、知事会というのは、橋下さんのような人は例外的存在であり、これまでは総務省(旧自治省)の言いなり。国から金をもらうにはそうすることがよかったのでしょう。
総務省が理想とする道州制というのは、要するに基本的に今のままの仕組みで、県が道州に代わるだけのものでしょう。彼らはこれを地方分権という。
これに対抗する言葉が地域主権です。財源についても地域が主権をとるということです。地方分権だけだと、国が財源について関与する度合いが高いのです。
ですから、知事会が道州制といっても、総務省の意図を通そうという行為が隠されていると考えるべきです。
橋下さんという人物は、そういう知事会の雰囲気のなかで、新参者として新しい考えを提唱していることになります。
ですから、橋下さんご本人は新しい風を起こしているつもりでも、彼を利用して総務省の意を通そうと考えている人もいるわけです。
これでは、橋下人気がピエロになりかねない危険性もある。まったく政治というのは魑魅魍魎の世界ですなあ。おおコワ。
人が何か評価をしたら、その評価を聞く際には、その人物がどういう価値基準をもっているのかよく考えて、その話をきく癖をつけることが大事です。
さて、このマニフェスト評価では、各項目毎に何点、何点とついています。
人間の評価もこんな感じでなされることが多いでしょう。人事考課なんかはこんな感じが多いでしょう。
まあ、それはそれでよいでしょうが、人間を抜擢するようなときは、そういう評価だけではいけないですね。
平均点でそつなく80点をとっている人よりも、場合によっては、ある項目で150点くらいとるが、あとは凡庸以下、というような人が重要なときもあります。
芸術家とか芸能人には多い。芸はすごくても、私生活はメチャクチャ。まわりの人はたいへんでしょうが、一般大衆には清涼剤となる。
強い将軍というのもその典型。ここぞというときには平均点の高いそつのないエリート士官を選んでも役に立たないことが多いもののようです。
しかし、強い将軍というのは、どこかものすごく大きな穴がある。「山高ければ谷深し」です。
義経などはその典型でしょう。戦闘はメチャクチャ強いが、政治的センスはゼロ。このあたりの分析はL研ブックストアのe-book「人間行動学シリーズ2異常行動の分析」にありますから、ご興味ある方はお求めください。
古今東西を問わず、有能な将軍は戦争が終ると石もて追われるのが常。平時には無用な存在となります。西郷隆盛もそういうことでしょう。
人間ではありませんが、人間が使う道具というのにもそういう面があります。
1950年代の終りでしたか、日本が初めて南極越冬をしたとき使った船が「宗谷」という船でした。
ところが、この船の選択が最悪だったのです。
当時、南極に行くとき、アメリカやソ連のような強国は、巨大な砕氷船で行きました。これで氷をバリバリ砕いていくわけです。しかし、こういう船を手に入れるのはものすごく金がかかる。
そこで、他の国、ノルウェーのような小国は、小回りのきく小さな船でいき、氷に閉じこめられそうになると、さっと脱出するようにしていました。
このやり方は、金はかかりませんが、船の操縦技術や南極の知識が重要です。それになにより勘と度胸が必要です。
で、日本の宗谷という船は、アメリカのように大きくもなく、かといって中小国の船のようにこまわりもきかない船でした。実に中途半端な船だったのです。
それが原因で、第二回の越冬では南極の氷に閉じ込められてしまい、昭和基地にたどりつけませんでした。
そのために、連れていった犬たちを置き去りにしなければなりませんでした。そのなかで生き残ったのが、タロ(タローは間違い)とジローです。
いろいろな項目に点数を付けて物事を総合的に判断するのもいいですが、状況を考えて判断することも大事です。
前回の選挙のように、「郵政民営化」という項目一つで全部決めてしまうというのも乱暴な話ですが、平均点だけで判断するわけにもいかない。
21世紀臨調 マニフェスト検証大会 自・民に辛口評価 3勝3敗2引き分け(産経新聞) - goo ニュース
いろいろな項目にわたり評価しているようです。
こういうものをそのまま信じる人はいないと思いますが、私の感想からまずお聞き下さい。
だいたい、この手の評価というのは、公平を装っているが、実はそうでないというのが疑り深い私の立場です。
その団体の立場とか理念が反映されているということです。
連合なんか極端な例ですが、ここは民主びいきですから、当然そちらの点がよくなる。
ここにはありませんが、経団連がいたら自民が圧倒的によい点数をもらったでしょう。もっとも、さすがの経団連も、最近はその路線が危ういとみて、自民から少し距離をおこうとしているようにも見えますが。
ともかく、人間が物事を評価をするときはどうやっても客観的にはならない、といことを言いたかったわけです。
客観的に評価するために点数制を導入するのだといっても、評価のプロセスが客観的に見えているだけで、その点数をつけている人のおつむはまったく主観的だということです。
だから、大事なのは相手の主観、つまり価値観や行動基準をきちんと把握することなのです。そういうことを勉強したい人のためにL研クラブはある。
最近では知事会というものがずいぶん活躍しているようで、彼らも地方分権で自・民のマニフェストを評価していました。
しかし、知事会というのは、橋下さんのような人は例外的存在であり、これまでは総務省(旧自治省)の言いなり。国から金をもらうにはそうすることがよかったのでしょう。
総務省が理想とする道州制というのは、要するに基本的に今のままの仕組みで、県が道州に代わるだけのものでしょう。彼らはこれを地方分権という。
これに対抗する言葉が地域主権です。財源についても地域が主権をとるということです。地方分権だけだと、国が財源について関与する度合いが高いのです。
ですから、知事会が道州制といっても、総務省の意図を通そうという行為が隠されていると考えるべきです。
橋下さんという人物は、そういう知事会の雰囲気のなかで、新参者として新しい考えを提唱していることになります。
ですから、橋下さんご本人は新しい風を起こしているつもりでも、彼を利用して総務省の意を通そうと考えている人もいるわけです。
これでは、橋下人気がピエロになりかねない危険性もある。まったく政治というのは魑魅魍魎の世界ですなあ。おおコワ。
人が何か評価をしたら、その評価を聞く際には、その人物がどういう価値基準をもっているのかよく考えて、その話をきく癖をつけることが大事です。
さて、このマニフェスト評価では、各項目毎に何点、何点とついています。
人間の評価もこんな感じでなされることが多いでしょう。人事考課なんかはこんな感じが多いでしょう。
まあ、それはそれでよいでしょうが、人間を抜擢するようなときは、そういう評価だけではいけないですね。
平均点でそつなく80点をとっている人よりも、場合によっては、ある項目で150点くらいとるが、あとは凡庸以下、というような人が重要なときもあります。
芸術家とか芸能人には多い。芸はすごくても、私生活はメチャクチャ。まわりの人はたいへんでしょうが、一般大衆には清涼剤となる。
強い将軍というのもその典型。ここぞというときには平均点の高いそつのないエリート士官を選んでも役に立たないことが多いもののようです。
しかし、強い将軍というのは、どこかものすごく大きな穴がある。「山高ければ谷深し」です。
義経などはその典型でしょう。戦闘はメチャクチャ強いが、政治的センスはゼロ。このあたりの分析はL研ブックストアのe-book「人間行動学シリーズ2異常行動の分析」にありますから、ご興味ある方はお求めください。
古今東西を問わず、有能な将軍は戦争が終ると石もて追われるのが常。平時には無用な存在となります。西郷隆盛もそういうことでしょう。
人間ではありませんが、人間が使う道具というのにもそういう面があります。
1950年代の終りでしたか、日本が初めて南極越冬をしたとき使った船が「宗谷」という船でした。
ところが、この船の選択が最悪だったのです。
当時、南極に行くとき、アメリカやソ連のような強国は、巨大な砕氷船で行きました。これで氷をバリバリ砕いていくわけです。しかし、こういう船を手に入れるのはものすごく金がかかる。
そこで、他の国、ノルウェーのような小国は、小回りのきく小さな船でいき、氷に閉じこめられそうになると、さっと脱出するようにしていました。
このやり方は、金はかかりませんが、船の操縦技術や南極の知識が重要です。それになにより勘と度胸が必要です。
で、日本の宗谷という船は、アメリカのように大きくもなく、かといって中小国の船のようにこまわりもきかない船でした。実に中途半端な船だったのです。
それが原因で、第二回の越冬では南極の氷に閉じ込められてしまい、昭和基地にたどりつけませんでした。
そのために、連れていった犬たちを置き去りにしなければなりませんでした。そのなかで生き残ったのが、タロ(タローは間違い)とジローです。
いろいろな項目に点数を付けて物事を総合的に判断するのもいいですが、状況を考えて判断することも大事です。
前回の選挙のように、「郵政民営化」という項目一つで全部決めてしまうというのも乱暴な話ですが、平均点だけで判断するわけにもいかない。
どの評価も、マニュフェストに書かれている事しか評価していないようで
その点が、とっても気になっています。
もっと正確に言うと、書かれている事に対する過不足や
論理性だけしか評価されていません。
それ以外に、天皇制をどう考えるとか
国際社会において日本はどうあるべき名なのかとかが
全く見えないのでちょっと不満に思っています。
みんなひっかかってるんですね。
役人が委員会などでよく使う手段なんですが…。
事務局がたたき台をつくると、もうそのなかで議論が収束することが決まってしまう。